青い壺 有吉佐和子 文春文庫

熊太郎


青い壺 有吉佐和子 文春文庫

 電子書籍の週刊誌で紹介されていて読むことにしました。今、よく売れている文庫本だそうです。 もうずいぶん昔の作品なのにどうしてだろう?

 初版は、1977年(昭和52年)です。今から、48年前ですから、半世紀ぐらい前の作品です。 巻末を見ます。文藝春秋昭和51年1月号~52年2月号(1976年~1977年)


 単行本「青い壺」は、昭和52年4月刊行。文庫は、昭和55年4月刊行です。

有吉佐和子:1984年(昭和59年)53歳没。急性心不全。代表作として、『恍惚の人(こうこつの人。今でいうところの、「認知症」の人のことです』、それから、『複合汚染(公害を扱ったものでした。わたしは、新聞朝刊の連載を読んでいました)』、『花岡青洲の妻(はなおかせいしゅうの妻。大竹しのぶさん主演で、8月に新橋演舞場で上演されています)』、『紀の川(きのかわ)』など。


(第一話)

 第一話を読み終えてみて、どうも、青い壺が、世間を回るお話のようです。青い壺を手にしたお宅の家庭の事情が文章で表現されるようです。


牧田省造:47歳。この方が、青い壺を製作した人です。陶芸家でしょう。父親も陶芸家だったようですが、3年前に亡くなっています。磁器(じき)をつくっているそうです。陶器:原料は粘土。磁器:原料は石。ガラスのようになる。家族は京都金閣寺の近くで暮らしている。


牧田治子:省造さんの奥さんです。ふたりには、年子の小学生がふたりいます。としご:1歳の年齢差


安原:道具屋


デパートの片岡さん(牧田家へ通い始めて5年がたっている):青い壺を手に入れた人。青い壺は、東京本店の美術コーナーで扱うそうです。


 牧田ファミリーには、なにも家庭内トラブルはありません。この第一話では、これから世間を巡ることになる、『青い壺』が誕生して、牧田省造の手から離れていったことが書いてあるのみです。


 青い壺に化学薬品で加工して、(古色をつけると表現があります)、年代物として偽って売るような話が買い手から出るのですが、行き違いもあって、加工する前に、奥さんが青い壺を人手に渡してしまいました。とくにそのことでトラブルにはなっていませんが、その出来事がこれから先の展開でからんでくるかもしれません。


フッ化水素酸:陶器の表面の色を古く見せるために使用する化学薬品

経管(きょうかん):円筒形の器(うつわ)。花器に使用する。花を生ける(いける)。デパートの片岡さんが持って行った。この壺が、この本の中で人間模様を表現する役割を果たします。

床の間に置いてある、『青い壺(経管(きょうかん))』:唐物(からもの。中国)に見える。砧青磁(きぬたせいじ)


(第二話)

 第二話を読み終えて、なかなかおもしろい。お話は、舞台劇か映画にもできそうです。

 ずいぶん前の小説ですが、今の時代と共通する部分があります。

 第二話は、夫の定年退職です。専業主婦だった妻が、困り果てています。

 68歳の夫が一日中家にいて何もしないのです。三度の食事の用意は妻がしなければなりません。夫は外出もしてくれません。妻は、息が詰まりそうです。夫は、ごはんをつくらないのですから、掃除も洗濯もしないでしょう。困ったおやじさんです。今なら熟年離婚の対象ですな。


 ネタバレになってしまいますが、妻が東京日本橋の百貨店で購入した(第一話で出て来た経管(きょうかん。細長い花を生ける花器。昭和52年当時の定価で2万円。その頃の初任給は大卒が10万円ぐらい、高卒が、7万円ぐらいだったような記憶です)を手土産(てみやげ)にして、職場でお世話になった上司にお礼を言いに行かせます。夫は半年前に68歳で定年退職していました。


 訪問先の自分が勤めていた会社で、夫はなんと、以前自分が座っていた机に座って、(今の役職者のはんこを使って)決裁印を押し始めたのです。決裁:役職者が、内容を審査して、印を押して承認する行為です。


 夫は、認知症になっていたのです。妻はまだそのことを知りません。そこで、第二話は終わっています。そういえば、有吉佐和子作品で、『恍惚の人(こうこつの人。ぼけ老人対応の苦難)』がありました。


 ありそうな話です。夫は、会社という組織で、歯車になって、機械のように、50年間働いていたのです。(学歴は、高校卒業です)。そして、脳みそがおかしくなっていたのです。終身雇用、年功序列の時代です。


 この小説ができた1977年(昭和52年)当時の日本人の平均寿命は、男性が、72.69歳、女性が77.95歳でした。あのころは、77歳ぐらいまで生きると、長生きされましたねぇと言っていました。


山田寅三:主人公。半年前に定年退職した。68歳


山田千枝:寅三の妻。夫婦は戦時中の体験あり。男の子3人を育てた。今は3人とも家を出ている。50年間夫と連れ添ってきたと書いてあるので、18歳同士で、おそらく見合い結婚をしたのでしょう。それも戦時中のことです。夫には兵隊の体験があります。


原:夫がいた会社の副社長


緒方さんの奥さん:山田家の近所の人。夫は55歳で定年退職後、再就職をして、65歳で二度目の定年を迎えた。そういえば、昭和52年ごろは、役職者の定年は55歳でした。平社員には、定年年齢が 設定されていなかった記憶です。定年年齢は、会社は組織によってバラバラだった記憶です。


美也子:山田夫婦の息子次郎の妻


(第三話)

 お見合いの話です。

 第二話で登場した花を生ける青い壺が出てきます。

 青い壺は、第二話で話題になった副社長宅にあります。認知症になっている社員が、副社長にお礼としてプレゼントした円筒形の青磁の花器です。


原芳江:副社長の妻。きょうは、自宅で、お見合いがある。話がまとまれば、夫婦で仲人(なこうど)をするつもり。夫婦には、男ひとり、女ひとりのこどもがいる。ふたりとも家を出ている。第二話で出てきた副社長の妻です。


京子:見合い相手のいっぽう。30歳ぐらい。実は、シングルマザーで2歳ぐらいの女の子がいる。


ユカリ:芳江の長女雅子のこども。孫。2歳。6月生まれ


竜男:見合いのもういっぽうの相手。実は、すでに女がいる。芳江の親戚です。

まあ、お見合いは、不成立になります。


(第四話)

 遺産相続の話です。

 第三話で出てきた原芳江の娘が嫁いだ(とついだ)先の遺産相続話(義母はすでに死去、世話が必要な義父が生きている)です。戦前は、旧家と呼ばれる資産家だったそうです。資産がありますが、兄弟姉妹も多い。


 夫の長兄、次兄、夫、長姉、次姉、三姉ですから、6人きょうだいです。義父の(まだ生きている。義父の扶養の話も出ます)の遺産相続にあたって、それぞれ言い分があります。まとまりません。


 こどもが多かった時代です。

 兄弟姉妹ですから、遠慮がありません。きれいごとではない、『欲』がぶつかり合う現実があります。他人が聞いたら、そこまで言うかという話が出てきます。

 『人間とは』の追求です。人間には優しい面もあるけれど、残酷な面もあるのです。どちらがいいとかよくないとかではなく、人間はそういうものだと受け入れて割り切るのです。

 

 そんな現場に、タイトルにある、『青い壺』が存在するのです。副社長が認知症になってしまった元社員からその壺をプレゼントされてから2年がたっています。

 副社長は、その不吉な壺の存在を忘れていて、まだそんなものがあったのかと、処分を指示しました。青い壺は、副社長宅を出て、だれかのところへ行きます。


原芳江:副社長夫人


大西雅子:原芳江夫婦の長女。公団の団地住まい。夫と娘がいる。娘はユカリ2歳、専業主婦をしている。ときどき義父の介護に行っているようです。その間、ユカリを実母に預けている。


大西義夫:大西雅子の夫。東京大学卒。それなりのいい会社に勤務しているようです。これまで、兄弟姉妹の中では、実家の援助として、一番お金がかかっていないと主張する。公立大学(東京大学)卒、アルバイトをして大学に行った。


長兄:大西義夫より20歳年上。病弱で私立大学を卒業するまでに8年かかった。たくさん学費がかかった。いちおう、跡をとっている形になっている。自分が一番親孝行者だと主張する。(だから財産はオレのものだ)


次兄:再婚している。慰謝料とかお金のことですったもんだがあった。実家がお金を助けた。私立大学卒でお金がかかった。親にお金をせびるタイプ。


長姉:実父の介護を拒んで(こばんで)、三兄の妻である原芳江に実父の介護を押し付ける。長姉の嫁入りのときには、とんでもないお金がかかった。


次姉:結婚するときに長姉の振袖を貸してもらうつもりでいたのに、断られたことを根に持っている。


三姉:自分の結婚式の時は、着物は貸衣装だったと主張する。


原友一郎:原芳江夫婦の長男。大西雅子の兄。大西雅子より2歳年上。さきざき、実家の家は自分がほしい。


 戸主という言葉が出てきます。最近は使わなくなりました。わたしが若かった半世紀ぐらい前は、ときおり出てくる言葉でした。『家父長制』という言葉も出てきました。


 登場してくる年配の夫婦たちは、第二次世界大戦を経験しています。現在の日本国憲法は戦後にできました。登場人物たちの意識には、戦前の大日本国憲法の意識が強い。


 戦前の決めごとだと、財産争いは、長兄の権利が圧倒的に強い。


 そんなこんながあるのですが、娘(大西雅子)は母親(原芳江)に、家を建てたいからお金の援助をしてくれないかと話をもっていきます。


 副社長は、いろいろ話を聞いて、自分たちは、家屋敷を売って、そのお金を全部自分たちのために使おうと妻に提案します。


 だけど、原芳江は不安になるのです。夫婦が同時に死ぬわけではありません。お金を使い切って、夫が死んだあと、残るのは、妻である原芳江なのです。


(第五話)

 老いた母親の介護話です。母親は、緑内障と白内障で目がはっきり見えません。

 兄夫婦の家で暮らしていた母親は、結婚していない東京副都心にある分譲マンションで娘と同居をすることになりました。

 まあ、いろいろあります。


 タイトルの青い壺は、そのひとり娘の家にあります。副社長の奥さんと生け花でつながっていたひとり娘が副社長の妻から半年前に譲り受けました。


 白内障手術に関する医療費が無料なのです。(老人福祉の施策で東京都内に住民登録がある65歳以上の年寄りなら白内障手術の費用は無料になるそうです。本人にとっては無料ですが、都民税などで病院には支払われているのでしょう)。

 そのことに納得できない母親は、タダはおかしいと吠えて(ほえて)、家にあったもらいものの青い壺をお礼として主治医へもっていくというようなところで終わりました。


千代子:分譲マンション6階に住んでいる。結婚はしないつもり。目が不自由な実母を兄宅から引き取った。


順一:千代子の兄


嫂(あによめ):義母を千代子に押し付けた。

 夫婦には、高校三年生の長男、中学3年生の長女、小学5年生の次男がいる。一戸建てに住んでいる。


キヨ:千代子と順一の実母。左目は、緑内障(りょくないしょう。あおそこひ。視神経の障害。視野が狭くなる。進行すると失明する)。5年前から見えづらくなったが放置していた。右は、白内障(水晶体が濁る(にごる)病気。視力低下、ぼやけ、まぶしさあり。水晶体を人口の眼内レンズと入れ替える手術をすると見えるようになる)

 お金の話ばかりです。キヨは戦争体験者のためか、とにかく節約、倹約をしたい。


石田:キヨの主治医


(第六話)

 キヨから白内障手術のお礼として青い壺をもらった石田主治医が、バア(飲み屋。酒場)に行きます。壺は、バアを経営する老夫婦にプレゼントされます。

 そんな経過が書いてある第六話でした。


梶谷洋子:戦後から30年ぐらい、夫婦でバアを経営している。時代設定としては、1975年(昭和50年)ぐらいの感じです。

 バアには、第二次世界大戦で、兵隊として参加した人がたくさんいます。今はそれなりに歳をとられています。

 わたしがこどもだったころ、たしかに参戦体験者がまわりに何人もいました。

 学校の先生も同様で、授業の合間に、海外での先生のリアルな戦争体験話を聞くことが楽しみのひとつでもありました。

 戦後先生をするぐらいですから、戦時中の現場では、指揮官を務めた人ばかりでした。きれいごとではない、現実的な、人間のイヤな面の体験も教えてもらいました。

 人間には、二面性があるのです。優しさと残酷さが同居していのが、人間なのです。


ポツダム大尉:1945年8月15日ポツダム宣言受諾後に、日本陸海軍で、一階級進級した大尉のこと。手当や恩給が増える。


 第六話を読み終えて、(書き方が)うまいなあ。


(第七話)

 石田一朗医師からもらった青い壺は、バアのママ梶谷洋子(実は、本人は外務省の松尾さんのお嬢さんで、夫は、海軍中将の息子。海軍中将は、石田一朗医師の父親の3年下の後輩。梶谷夫婦は、戦後は夫婦でバアをやっている)の手にあります。青い壺は、お酒だと思ったという勘違いがあって、その後、石田医師宅に戻ります。


 石田一朗医師は、もう25年以上、そのバアに通っているそうです。石田医師は海軍の所属で上官をしていたそうです。


 この部分を語るのは、石田一朗医師の母親石田春恵です。80歳ぐらいです。青い壺の思い出話です。戦争中、戦後の話です。夫婦でロンドン暮らしの体験があります。

厚子という女性が出てきますが、この第七話ではなにも役割がありませんでした。

 戦時中、戦後は、サツマイモとダイコンとニンジンで生きていた。

 イモは、ゆでて、塩をふるだけだった。

 東京大空襲の話も出ます。一夜で10万人ぐらいが死にました。たくさんの人が亡くなりました。


(第八話)

 第七話で登場した石田厚子が再登場します。

 石田厚子は、石田一朗医師の妻です。第七話からは数年がたっています。読みおえて、なかなかうまい話の流れがつくってあります。最終的に、青い壺は、石田宅に入った泥棒の手に渡ります。

 そこまで行く経過で、石田厚子のむなしい毎日の過ごし方のことが書いてあります。

 第七話から数年がたって、5人家族から、石田厚子だけが家の中にぽつーんといるのです。

 石田厚子はひとりぼっちです。口やかましかった第七話の義母は他界しています。


 長女は嫁に行きました。長男は、アメリカ留学中です。夫は仕事が忙しくて、ほとんど家にはいません。石田厚子は毎日、何もすることがない。そんなことが書いてあります。


愛染かつら:川口松太郎(かわぐち・まつたろう。1985年(昭和60年)85歳没)の小説・映画。1937年(昭和12年)-1938年の『婦人倶楽部』連載小説。映画の公開は、1938年。その後何度桃映画化、ドラマ化された。

 恋愛を周囲に反対される男女ふたりのお話。愛染は、愛染堂(あいぜんどう。愛染明王(あいぜんみょうおう)がご本尊(ごほんぞん)。かつらは、桂の木のこと。


(第九話)

 空き巣に盗まれた青い壺は、京都東寺の骨とう品市に出されて、70歳の美枝子という女性の手に渡ります。それまでの経過がけっこう長い。


 いいところのお嬢さんたちが、戦前、学生寮付きの私学で学んだわけですが、50年の時を経て、京都で同窓会を開くことになり実行されます。


 50年がたっています。それぞれ、異なる今の生活があります。話が合いません。年齢層は、70歳から80歳ぐらいの高齢者女性たち14人が、全国から集まりました。お金に余裕がある人もいるし、そうでない人もいます(あるいは、お金があっても倹約家です)


弓香:半年前から、京都三泊四日の同窓会を楽しみにしていた。見学先は、仙洞御所(わたしもいったことがあります)、桂離宮(わたしは予約がとれていましたが、たしか、2009年(平成21年)に新型インフルエンザが京都で発生して、訪問を取りやめたことがあります。当時から皇室がらみの施設は、インターネットで事前予約制でした。こちらの本では、文部省の人脈を使って見学させてもらっています。現在の申し込み先はネットで宮内庁(くないちょう)だったと思います)。弓香の孫娘が、悠子で、次の第十話に登場します。23歳、大卒で就職しました。


 弓香は、同窓会のこずかいに30万円ももっていきますが、倹約家の幹事の手前、お金を使うことができません。イライラがつのります。いまどきの電子マネーとか、クレジットカード利用の時代ではないので、現金30万円を隠し持って参加します。

 大島の着物で参加する。弓香は、腰が曲がっていて、動作が緩慢だそうです。(第十話から)


池田美枝子(学生寮では、書記をしていた):夫は国家公務員で、全国転勤があった。孫二人は男で大学生。今回の同窓会の幹事役のようです。息子の嫁が、明子。

大島の着物で参加する。


田代(旧姓:安井)


綾部律子(旧姓国富):岡山から京都まで来た。


松尾(学生寮で委員長をしていた。倹約家。タクシーを嫌い、電車移動を選択する。敬老の無料パスをもっている)。ずっと独身だった。80歳ぐらい。今回の同窓会の幹事役のようです。京都市在住でしょう。一泊三食付きで1500円の宿を用意されました。それなりに、料理も部屋も質が落ちます。(1975年ごろの話です。昭和50年ころ)


吉野(旧姓:岡田)


宮田:独身寮にいたのは、短期間だった。


深谷光子:13回忌(かいき)。57歳ぐらいで亡くなった同窓生


 みなさんは、戦時中を体験された世代です。結婚、子育て、三世代家族、嫁姑いろいろあって、自分よりも老齢の世代をお葬式で見送り、子どもも巣立って、ようやく、自分の時間を得た人たちですが、集団行動がまとまりません。


 それぞれ、自分のやりたいこと、行きたいところがあって、希望はてんでバラバラです。

 昔の世代は、集団行動が好きでした。いい面もあったし、そうでない面もありました。それでもいいのです。最後は、全員、順番に、あの世へ旅立つだけです。


 話題が二十代だったときとはかなり異なります。腰痛のコルセットとか、入れ歯の洗浄液とか、胃下垂とか、癌とか、糖尿病とかです。


青鞜社(せいとうしゃ):女性文芸団体。明治時代末期から大正時代初期に活動があった。メンバーのひとりとして、平塚らいてう。女性の権利獲得運動の言葉として、『元始、女性は太陽であった』。財政難で解散した。


(第十話)

 青い壺は、第九話に登場していた弓香の孫娘悠子の手にあります。母親は、明子です。弓香の息子の嫁です。祖母の弓香が、孫娘の悠子に青い壺をくれました。


 悠子は、自分が卒業したミッションスクールの小学校で、学校給食を担当する職員をしています。栄養士です。栄養大学を卒業しています。予算の範囲内でおいしい給食を提供することで苦慮しています。


 こどもたちが、人参やほうれん草を食べ残すことでとても悩んでいます。悠子は、周囲のアドバイスを得て、自分の発想で料理を考えました。うまくいった料理もありますが、うまくいかなかった料理もあります。悠子の気持ちはへこんでいます。


シスター・マグダレナ:スペイン人。来日50年、ずっと、現在の私立小学校で働いている。修道女です。昔、エルマナだったとあります。エルマナってなんだろう?(次の十一話に説明がありました。シスターの種類とか階級のようです)


池田のおばさま:第九話に登場していた池田美恵子。同窓会京都旅行三泊四日の幹事だった。


 人参がこどものころ嫌いだった皐子(「さつきこ」と読むのだろうか。調べました。「こうこ、たかこ、さわこ、さつきこ、などだそうです」。皐子は、弓香の娘です。


カロチノイド:人参やほうれん草に含まれる。こどもに必要な栄養素


 食べ物がお粗末だと、食事の回数も含めて、こどもの心がすさむということはあると思います。

 1975年(昭和50年)ころは、まだ新幹線に、『のぞみ』はありませんでした。本には、『ひかり』が書いてあります。

 弓香は、グリーン車に乗ります。


(第十一話)

 第十話で登場した悠子が青い壺をもって校長室へと続く廊下を歩いています。

 青い壺は、シスター・マグダレナの手に渡り、スペインへと持っていかれます。


 第十一話では、54年ぶりに再会するシスター・マグダレナ母子のことが語られます。

 現在72歳であるシスター・マグダレナのスペインに住む93歳の実母が天に召される時が近づいているのです。

 実母は危篤です。シスター・マグダレナは、18歳で修道院に入って以来実母には会っていなかったそうです。当時の実母は39歳だったそうです。


シスター・芦沢:ミッションスクールの国語教師


(第十二話)

 あと二話になりました。

 登場人物の名前が、氏名で表示されないことが多い。下の名前だけ出て、あとから、苗字がわかることが多い。大きな紙に、登場人物の相関図を書きながら読まないと、内容を理解できません。その点で、推理小説を読んでいるような気分になります。


森シメ:病院で、病室の清掃をしている。去年、還暦(60歳)を迎えた。病院は、健康保険がきかないお金持ちが入るという特別な病院で、芸能人を始め、お金持ちが入院している。清掃は3人一組になって、病室を回る。

 戦前、戦中、戦後を生きてきた人です。スペイン風邪の流行で身内が亡くなって、孤児として成長してきた。陸軍中尉の家への住み込み女中奉公で世話になった。そのお宅できちんとした姿勢や言動を学んだ。今は、息子夫婦と孫の三世代で、3DKの公団住宅に住んでいる。


 第七話に出てくる梶谷洋子の夫が海軍中尉でした。その人と関係があるのかと思いましたが、森シメが世話になったのは、陸軍中尉です。別人でしょう。


病院601号室の入院患者:74歳女性。第九話で出てきた京都でのクラス会に出席した弓香です。

 律ちゃん(綾部律子(旧姓国富))と電話で話をしています。

 弓香は、こどもを4人産んで、ほかに2人を流産した。


病院501号室の入院患者:60歳の気難しい男。80歳ぐらいのおじいさんに見える。青い壺が、どういうわけか、この病室にあります。男には、妻がいます。(その後、男がスペインから青い壺を持って帰って来たことが判明します。思えば、601号室に入院している弓香の手元にあった青い壺です。おもしろい)


 60歳の森シメは、通勤電車の中で、老齢のおばあさん扱いです。たしかに、1975年ころの60歳はおばあさんでした。日本人はまだ長寿ではありませんでした。男性71.73歳、女性76.75歳が平均寿命でした。


(第十三話)

 ついに最後の話にたどり着きました。

 読むのに10日間かかりました。

 第十三話を読みました。

 このパターンの場合、青い壺は、第一話に戻って、青い壺をつくった牧田省造の手元に戻ることになるでしょう(ほぼそのとおりになりましたが、牧田省造のものにはなりませんでした)


園田:第十二話に登場した病院入院501号室の60歳の人物。陶芸の評論家で有名な人だそうです。園田先生です。

 青い壺の作者である牧田省造が、園田先生のお宅へ病気見舞いです。東京都内にある大きな邸宅です。


 園田先生がスペインから持ち帰った掘り出し物だという青い壺を牧田昭造に見せます。牧田省造が青い壺を見てびっくりします。青い壺とは、十年ぶりの再会です。


 さて、牧田省造はどう反応したのか。園田先生にはプライドがあります。園田先生は、古美術の鑑定では、日本で一、二を争う男だと自画自賛します。知りたい人は読んでください。園田先生は、牧田省造が十年前につくった青い壺を、南宋浙江省(せっこうしょう)の竜泉窯のもので、十二世紀初頭の作品だと激しく強く主張します。

 第一話で出ていた。釉薬(ゆうやく)の話が出ます。

 つくったばかりの作品に釉薬を塗って、さも古代の作品のように加工して、人に高く売るのです。


 牧田省三を乗せた東京駅八重洲口へタクシーは向かいます。

 わたしは先日たまたま八重洲口にいたので、なんとなく作品に親しみを感じました。

 タクシー運転手が人命救助をやって、警察から表彰されたと話をします。

 表彰された人には特典があって、もし犯罪行為をすると罪が軽減されるそうです。でも、タクシー運転手は犯罪行為をすることは、自分はないと言います。


 牧田省造は、たまたま青い壺に自分の名を残さなかった。これからも、自分の作品に自分の名を刻印することはやめようということで結ばれています。


 わたしも昔思ったことがあります。

 作者と作品は切り離して考えたほうがいい。

 作者の手から作品が離れたとき、作品は作品としてひとり歩きを始める。作品を受け取った人の人生体験で、その作品の解釈が、分かれてくる。作者と作品は、別物になる。

 若い頃聴いた(きいた)男女の別れの曲が、その後何十年もたって、作詞者が、あれは、男女の別れを歌詞にしたものではなく、同種企業が合併したことを、恋愛話にたとえたものだと雑誌に書いてあるのを読んで、たいそうがっかりしました。自分は、じょうずにだまされたと失意に沈みました。

 ああ、天才というのは、そうやって、人をだまして、お金もうけをするのか…… 詐欺師ですな。

それ以来、作品を愛しても、作者を愛せなくなりました。作者は、自分の才能を活用して仕事をして収入を得て生活しているのです。


(本の解説部分 平松洋子 エッセイスト)

世の理(よのことわり):世の中の道理

シスター・マグダレナ:第十話、第十一話に登場します。作者である有吉佐和子さんの洗礼名だそうです

☆いつも見てくださってありがとうございます♬