おとうとのたからもの 小手鞠るい(こでまり・るい)
2021年(令和3年)5月に読んだ本の感想記録です。
おとうとのたからもの 小手鞠るい(こでまり・るい) 岩崎書店
小学1年生、2年生ぐらい向けの文章で書いてありますが、連れ子同士の男女の結婚であり、それぐらいの年齢のこどもさんが、内容をすんなり理解できるとは思えず、結果、おとな向けのお話になっていると感じました。
おとなが読むと胸にぐっときて涙がにじみます。
妻の連れ子の小学生の「あおい」は、小学2年生だから8歳ぐらいでしょう。
あおいの弟が、とうま(冬馬)で、あおいより3歳年下ですから5歳、幼稚園の年中さんです。
とうまは、夫の連れ子です。実母は亡くなっています。
あおいは本読みが嫌いなような、苦手なようなという女子で、とうまは、絵本読みが好きだという対照的な好みの設定です。
弟の「とうま」が好きな絵本は、亡くなった実母の形見(かたみ。亡くなった人がのこしてくれたもの)なのです。さらに秘密がありますがここには書きません。
あおいの思うことの表現がいい。「あーあ、また本か。うんざりする。本ほどきらいなものは、わたしにはない」
本読みはある意味めんどうくさいものです。ただ、なにごとも、めんどうくさいといっていたら、いいものを仕上げることはできません。時間と手間をかけるから、いいものができあがるのです。
あおいは、本に対してぶつぶつ文句を言いますが、彼女の後姿は、さみしそうです。
血のつながらない姉と弟です。姉と弟というよりも基本的に他人です。
だからお互いにしばられるものはありません。
こどもというものは、絵本の内容よりも、親から絵本を読んでもらえるという行為のほうが好きなこともあります。
以前読んだことがあるほかの方の読書エッセイで、「どうして(たいしておもしろくもない)この内容で、文章が長い同じ絵本ばかりを毎晩読んでくれ」とうちのこどもは親に頼むのだろうかと、母親が、成長しておとなになった娘にたずねたら、「本読みの間、長時間いっしょにいられたから」という返答があったそうです。
意外なところに答があったと、何十年もたって、ようやく気づかれたのです。そのお話と似たような展開がこの物語にもあります。
絵の雰囲気が優しい。
とうまには、自分を産んでくれた実母と育ての親となる義母がいるわけで、なかなかむずかしいものがありますが、こだわると悲しいことにつながっていきます。
こだわらないこと。いまある環境になじんでいくこと。されど、なかなかむずかしい。重松清作品の親が再婚したあとの義父母とこどもの関係を書いたいくつかの作品が頭に浮かびました。
小学校の図書室で司書をしている田中子音(たなか・しおん)が登場します。そういえば、今朝から読み始めた「お探しものは図書室まで」青山美智子著でもシロクマのように大きな体をした小町さゆりさんという司書が登場します。
多神教の世界があります。森にも草原にも風や海や星、そして月にも妖精がいて、人間の気持ちを支えてくれるのです。
「本」って、なんなのだろう。ときには、小さなこどもの心の支えになってくれるのが「本」です。
本に対する愛情が湧いてくる作品でした。
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