放浪記 林芙美子 新潮文庫

放浪記 林芙美子 新潮文庫
大竹しのぶさんが林芙美子さん(はやしふみこさん)を演じた、『太鼓たたいて笛吹いて』を名古屋駅前のウィンクあいち(愛知県産業労働センター)で観劇したのは、2024年(令和6年)12月のことでした。
今度は、林芙美子作品、『放浪記』を読んでみます。全体で、544ページあります。
大正11年(1922年 作者は19歳ぐらい)から5年間の作者自身の出来事です。昭和5年に刊行されベストセラーになった、『放浪記』、『続放浪記』に、戦後発表された、『放浪記第三部』が収録されています。
林芙美子(はやしふみこ):1903年生まれ(明治36年)、1951年(昭和26年)47歳没。心臓麻痺で急逝
実母:鹿児島桜島の温泉宿の娘
実父:四国伊予の人間(いよ:愛媛(えひめ))。綿と麻の織物の行商。山口県下関から北九州若松へ移っている。
養父:岡山の人間。実直、小心、アブノーマルな山っ気(やまっけ。一獲千金を狙う。投機)があった。
実父に芸者の女ができて、実母と作者(8歳ぐらい)は、家を出て、その後、養父と3人で、九州一円を木賃宿で泊まりながら転々としつつ、行商を行った。作者は、転校を繰り返した。
作者はその後、広島県尾道市で暮らし東京へ出る。東京では、本郷から新宿へと移る。
そのような経過がありました。
出だしから15ページあたりまで読みました。
大正時代から昭和時代が始まるころのお話です。わたしの祖父母世代の方です。
九州北部、炭鉱で栄えた地域の話があります。思い出すのは、リリー・フランキー作品、『東京タワー 新潮文庫』です。出だし付近の文章に書かれた雰囲気が似ています。思うに、リリー・フランキーさんは、林芙美子さんの放浪記を読んだことがあって、福岡県の産炭地区での類似体験があるので、文章の書き方が自然と似たということがあるような気がします。『東京タワー』は名作です。冒頭付近から続く、炭坑地域の貧乏暮らしあたりの文章描写がとてもおもしろくて笑えました。
しばらく読み進めていて、五木寛之作品、『青春の門』が頭に浮かびます。五木寛之氏もこの、『放浪記』を読んだことがあるのでしょう。『青春の門』という作品の下地になっているような気がします。
本に書かれている文章に出てくる地名は、わたしが、行ったことがあるところが多い。じっさいに住んでいたところもありますし、鉄道や車で通過だけしたところもあります。
文学少女が、貧困家庭に生まれて、各地を転々としながら、文学の素養を伸ばしていったという経過があります。なんというか、才能がある人は、どこに生まれても世に出てきます。
地名としては、北九州、鹿児島、山口県下関(しものせき)、著者は、母子で木賃宿を転々しながら移動しています。きちんやど:安宿。泊り客は自炊する。じすい:自分で自分の食事をつくる。作者は、自称放浪者です。両親は別れています。夫が芸者を家に入れたので、母と8歳の作者は家を出ました。北九州の若松に実父は住んでいた。今は養父といる。九州一円を行商している。長崎、佐世保、久留米、下関、門司、戸畑、折尾、学校は7校通った。ともだちはいなかった。
有明海に浮かぶ天草(あまくさ。橋ができたのは、1966年(昭和41年)でした)、福岡県筑豊地区(ちくほう地区)にある直方(のおがた)の炭鉱町にいたのが12歳ころだった。(1915年ころ。大正4年。第一次世界大戦がはじまったのが、1914年(大正3年)です。戦争は、4年間続きました。
作者の日記がベースです。
大正時代の社会風俗がわかります。
いくつかの歌がのっています。旅愁(りょしゅう。ふけゆく秋のよ(夜)……)、カチューシャの歌(カチューシャかわいや、別れのつらさ……)
(第一部)
探偵小説の、『ジゴマ』:フランスの怪盗小説シリーズ
遠賀川(おんががわ):福岡県の筑豊地区(ちくほう地区)から北九州へ流れている川
1915年(大正4年)ころの話です。作者は、12歳ぐらいです。おもに、福岡県直方(のうがた)炭坑地域での暮らしぶりです。実母と養父の3人で暮らしながらの行商です。 バナナとかあんぱんを売ります。朝ドラの、『あんぱん』を思い出します。
わたしの父方の祖母も行商をしていました。小学1年生だったわたしは、祖母に言われて、メモをもって問屋にアメや菓子を受け取りに行っていました。何度か、リヤカーでの行商につき合ったことがあります。本業は農業だったので、農閑期に行商をしていたのでしょう。
ヒワ色の兵児帯(へこおび):黄緑色(ヒワは野鳥)のこどもが締める幅広の柔らかい帯(和服のとき)
石川啄木:岩手県出身の歌人、詩人。1912年(明治45年)26歳没。病死(肺結核)
26ページぐらいまで読んできて、この作品は、日記形式をとっていますが、最初のほうは、過去のふりかえりだったことがわかりました。
これからのページは、現在、東京での暮らしの話です。青梅街道とか、新宿という地名が登場します。
東京神田にある職業紹介所に行きます。東京に出て来て、木賃宿でひとりぐらしの作者です。二十歳前後の年齢なのか、お金がない話が続きます。お嫁に行くのが、女性の就職みたいな時代です。
十二社(じゅうにしゃ):新宿のこと。
映画、『男はつらいよ』、フーテンの寅さん(とらさん)のようなシーンがあります。『そこにもある、ここにもあると云う(いう)品物ではございません。お手に取ってご覧ください』。山田洋次監督や、渥美清さんも、この本を読んだことがあるのかもしれません。
芝:東京港区にある東京タワーの南あたりでしょう。
派出婦:お手伝いさん(毎日行くわけではない)
5月、作者は、21歳です。邸宅地域にある家に住む薬学生(父親は日本橋で薬屋を営む)の助手として、1か月35円で働くことになりました。(その後、この記事がないので、短期間で辞めたのでしょう)
さなだ帯:祭り、武道、着物で使用される丈夫でシンプルな帯
宗教の話があります。『(作者は神仏を信じない。自分を信じる)イエスであろうと、お釈迦さまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウ(余裕)なんかないのだ……(宗教活動をする人は、お金持ちの道楽のように書いてあります)』(不謹慎ですが、同感です)
11月、作者は、玩具のセルロイドの色塗りをする女工をしています。日給75銭で、働き出して4か月だそうです。
この時代に(1924年、大正13年)ころに、12月になるとクリスマスの行事があります。
だれもかれもが貧乏です。そして、一部の人間が大金持ちです。
松田:作者に気がある男性。作者に金を貸すという話でお金をくれる。でも、作者にはその気はない。作者にお金を貸してくれる。
読みやすい文章です。リズムがあります。
同棲していたみたいな記事があります。相手は劇団関係者です。
五十里(いそり):作者が別れた男の友達
静栄(しずえ)さん:友谷静栄。詩人。上田保夫人
辻潤:評論家
吉田:男性。作者に恋愛感情があるような人
宮崎光男:吉祥寺住まいの人
上野山:洋画を描く人
作者が、文学仲間に囲まれた時代です。
『二十四の瞳』を書かれた壺井榮さんのお名前も出てきます。
テレビが登場したのが、1953年(昭和28年)ですから、まだまだテレビのない時代です。大正時代末期から昭和時代初期です。
されど、いろいろな文化が花開いているように見受けられます。
今となっては、もうみなさん、あの世に行かれた人たちです。
秋ちゃん:19歳女性。男子大学生が好き。2歳のこどもがいる。
お初ちゃん:四谷で生まれて、12歳の時にさらわれて、満州にある芸者置屋に売られた。その後、帰国している。
お君ちゃん:作者が働く居酒屋の同僚
1か月30円あれば、十分暮らせるそうです。貨幣価値が今とはだいぶ違います。大正時代末期でしょう。
秋、10月の日記です。夜、外では虫たちが鳴いています。風情があります。
詩人の室生犀星(むろう・さいせい)氏のお名前が出てきました。
この時代に、『ビール』があります。ビールはもっとあとの時代に日本に登場したと思っていました。
『浅草はいい処(ところ)』だとあります。わたしもしばらく前に見物に行ってきました。にぎやかなところです。
城ヶ島の雨:北原白秋作詞。神奈川県三浦半島の先端にある島
1月になって、作者は、東京から大阪に移動して、毛布問屋で働きだしました。
東京でうまくいかなくて、心機一転です。
東京では、関東大震災があったのです。大正12年9月1日でした。(1923年)
わたしが中学一年生のときに、福岡県で母方祖母と雑談していて、祖母が若い頃、関東大震災を体験したと話し始めたのでびっくりしました。今はもう年老いた祖母にも、九州から東京へ出て冒険したいと思った青春時代があったのだとしみじみしました。
第一部を読み終えました。
大阪とか、京都、兵庫、四国の高松でのシーンも出てくるのですが、読んでいて、創作部分もあるのではないかと感じました。日記としながら、日記の中で、空想して、作品のネタのようなメモ、あるいは、ちょっと長い文章を残しておく。そんな感じを受けました。事実かどうかはわかりませんけど。
お金が欲しいという話が続きます。
作者は、相当お金に困っています。
されど、流行作家になれてからは、たいへんなお金持ちになられたことでしょう。
祖母からのカタカナ書きの手紙があります。
そういえば、わたしの祖母がわたしに送ってくれた手紙は、カタカナ書きだった記憶です。
詩があります。
詩は、自分の心の反射です。
詩は、だれかが、なにかを言っているのではなく、自分自身が、自分自身の言葉で、自分自身に語っているのです。
時ちゃん:浅草の友だち
(第二部)
相良(さがら):作者の勤め先の若い重役。勤め先は、日立商会というところです。株屋の店員です。日本橋あたりです。本には、千代田橋と書いてあります。
荻谷さん
須崎さん:男。上州の地主。上州(じょうしゅう 現在の群馬県)
松田さん
いろいろ、固有名詞が次々と出てきますが、今はもうこの世にはいない人たちです。お金の貸し借りの話がでます。従業員同士のお金の貸し借りは、ひんぱんなようすです。いろいろもめるでしょう。一般的に、お金の貸し借りでは、善人が泣きます。
作者が、男とふたりで東京へ出た思い出話(その後うまくいかなかった)があります。
中絶の話が出ます。
わたしが昔、母や祖母から聞いた話と同じです。
大昔は、自分で中絶行為を行った。
男はすけべで、女はたいへんだった。
望まぬ妊娠をしたときは、自分の腹を柱に打ち付けて、中絶する人もいたという話でした。大正時代末期から昭和初期の時代背景を考えると、ありそうなことです。
新宿、浅草、上野、四谷、横浜山下公園、聞き慣れた地名が出てきます。まだ、第二次世界大戦前です。
暮らしぶりは、作者と作者のまわりも含めて、貧困層のやりとりです。
作者は、脚気(かっけ)になったとあります。脚気(かっけ):ビタミンB1の欠乏。手足のしびれやむくみ。倦怠感(けんたいかん)など。
作者は、女性新聞発行会社で女性記者として働き始めました。小さな会社です。
作者の心のよりどころは、広島県尾道市です。全国各地を転々と移動した作者ですが、尾道が一番良かったようです。
わたしも尾道に行ったことがあるので、そのときの風景を思い出しながらこの本を読みます。
書き方が単調な面もあるので、ところどころは、流し読みです。
作者は、東京が好きな人です。また、東京で生きる人でもあります。
インド人とか、トルコ人とか、外国人も出てきます。トルコ人は、飲み屋でアコーディオンを弾いて歌を歌います。
まあ、性風俗もあります。男と女です。男女関係は、そんなものという雰囲気があります。
読んでいて感じたことは、自立した女の人が、ひとりで生きていく物語だということです。ただし、まわりには、おおぜいの他人がいます。各自が自立している女性なので、集まると、集団に見えます。
公休日(こうきゅうび):久しぶりに聞いた言葉です。労働の義務がない日。法定休日、(会社が定めたのは)所定休日です。
第二部を読み終わりました。
なんというか、時系列が、順序だっていないような印象があります。
第一部の次の時代が第二部というわけではなくて、また、大正時代に戻っているような記述もあります。
日記の表示は、月しか書いてありません。年と日にちがありません。
307ページに、大正天皇が崩御(ほうぎょ。亡くなった)したような記述がありました。
ゴーリキ:ソ連の作家。1936年(昭和11年)68歳没。社会主義文学の創始者
作者について、兄弟は6人だが、兄を見たことがないと記述があります。そんなものかもしれません。
いとこは、こどものころはよくいっしょに遊びますが、その後は、他人みたいになります。
兄弟姉妹もそれぞれが所帯をもつなりすれば、そこで、親族グループがつくられて、兄弟姉妹同士のつきあいは薄くなります。
在所で(ざいしょ。ふるさと。実家あたり)で暮らせない人たちが、東京に集まって暮らしているような雰囲気が、東京にあります。地方の人たちが、東京へ移住してきます。
貧しかった作者ですが、作品が売れたことによって、豊かな生活を手に入れています。
世間では目立つ存在です。有名人です。
養父とか、実母との関係が語られます。
(第三部)
第三部まで、全体を読み終えました。
第三部の内容は、特記すべきものはありませんが、解説部分を読むと、昭和初期の当時は言論統制があって、第三部の内容は、世間に公表することが制限されるものだったそうです。今の時代では考えられません。読んでみて、第三部の内容はどうということもないものです。
検閲、削除、発売禁止、起訴、投獄までいくそうです。おそろしい時代です。
第三部は、戦後に発表されています。
二十歳(はたち)ぐらい、青春の時期における文学少女の日記、雑記という位置づけの内容です。
詩が多い。
神とか、社会主義の話、お金がない。お金が欲しいという言葉が続きます。
自己陶酔の文章が綴ってあります。
読んでいても得るものがありません。
チエホフ:ロシアの劇作家、短編小説家。1904年(日本だと明治37年)44歳没。
トルストイ:ロシアの小説家、思想家。1910年(日本だと明治43年)82歳没
感化院(かんかいん):不良行為をする少年を保護して、教育を行う福祉施設
広島県尾道での体験が作者の心を支えています。
作者は、『自由人』です。自分の生きたいように生きる人です。
大正天皇と皇太子(のちの昭和天皇)の記事があります。
544ページまで読んで、読書は終了しました。
『解説 小田切秀雄(文芸評論家。2000年(平成12年)83歳没)』
林芙美子:昭和26年(1951年)6月29日心臓まひのため47歳で死去
放浪記:昭和4年(1929年)に出版された。貧しさが世間の共感を呼んだ。
わたしが読んでみて、放浪記は、創作のネタ帳のようでもありました。
私的な雑記の記録です。
作者は、めげない人、心根(こころね。心の奥底)の強い人という印象です。
貧困に追い詰められても、自殺したり、売春行為をしたりするような人ではありませんでした。
くそったれ、まけてたまるかとど根性を引き出して、元気よく、生き抜いていく強烈な生命力をもっていたという趣旨で解説の記述があります。
作者が若い頃、慕って(したって)ついて行った男に捨てられたことが書いてあります。
東京で同棲していましたが、男は故郷へ帰って行きました。
まあ、いろいろあります。
解説の日付は、昭和54年(1979年)6月になっていました。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。