東野&岡村の旅猿27 ビビる大木おすすめ高知でジョン万次郎の旅
2026年(令和8年)3月の放送でした。
東野&岡村の旅猿27 ~プライベートでゴメンナサイ~ ビビる大木おすすめ高知でジョン万次郎の旅 動画配信サービス
ビビる大木さんは、ジョン万次郎資料館の名誉館長です。以前テレビ番組でそのようすを見たことがあります。
ジョン万次郎の本は何冊か読みました。
資料館は、足摺岬(あしずりみさき)の近くにあります。
わたしはもう何十年も前、19歳のときに足摺岬へ行ったことがあります。
岬から見おろした海、岩壁の下は、虹色に色の変化がある波しぶきが打ち寄せていました。とてもきれいな波でした。なつかしい。
『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 井伏鱒二 新潮文庫』
「ジョン万次郎漂流記」
これが書かれて発表されたのは、1938年(昭和13年)で直木賞受賞作です。
ジョン万次郎漂流記は、これまでに別の本で2冊ぐらい読んだ記憶です。
この小説と比較すると、以前読んだ本は記録本の肌触りです。いっぽうこの小説は、状況が生々しく文章で描かれており芸術性が高い。漂流した登場人物5人の困り果てた行動が生き生きと書かれています。
孤島にたどり着いて、そこでの日付や地名を自分たちで決めて使い始める。水を大切にするためにルールをつくる。だれが考えても、人類の歴史のスタートはそこからです。ただ、みな、文字の読み書きができないから口頭了解から始まります。
遭難したのは、伝蔵38歳、伝蔵の弟重助25歳、伝蔵の息子五右衛門15歳、寅右衛門27歳、万次郎15歳です。合計5人です。
重助が足のケガがもとで亡くなって、寅右衛門はハワイに残り、あとの3人が帰国します。
帰国しなかった寅右衛門の気持ちはわかるような気がします。帰国イコール幸福とは限りません。寅右衛門の言葉として、「この町にはなじみの人たちがいる。土佐で暮らすのもどこで暮らすのも同じ一生」とあります。
万次郎は、薩摩藩主島津斉彬(しまづ・なりあきら)に会っていますし、時は、徳川幕府が倒れる頃です。海難事故で遭難してから12年目に帰国して、その翌年に、ペリーが日本に来航しています。
万次郎は渡米の通訳として派遣されています。ハワイでカメハメハ大王にも会っています。ハワイでは、帰国時に別れた寅右衛門にも会っています。縦横無尽に太平洋上を移動しています。
捕鯨に従事した話がでてきます。万次郎が日本国に果たした業績は大きい。米国留学をしたあとのようなものです。
1898年(明治31年)11月12日死去72歳でした。
『ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社』
この本では、万次郎の14歳から22歳ぐらいまでを重点的に記述してあります。その後の半生のほうがはるかに永い。後半の人生では、当時の日本と外国とのかけはし役を果たした功績があります。
漁師の子がサムライになるという立身出世伝があります。サムライになれたときに、武家社会が崩壊します。皮肉なものですが、士農工商という身分制度がとりはらわれ、職業選択の自由が保障された快挙でもあります。なにせ鎖国は200年以上続いたのです。
漂流して、米国東海岸に運ばれて、なかば米国人として育つ。帰郷の思いが果たせるのはさらに永い年月が経ってからです。米国人が計画的に大海原の船旅をしていたころ、日本人が外国へいくには、漂流というアクシデントだった。国家の技術力の差は大きい。
『ジョン万次郎物語 ウエルカム ジョン万の会 冨山房インターナショナル』
ジョン万次郎は単独で遭難しアメリカへ渡ったと思い込んでいました。この本を読んで違うことがわかりました。5人が乗船した漁船で嵐に遭い、とある島へ漂着後、アメリカの捕鯨船に助けられた。彼らはハワイへ移りそこで暮らした者、亡くなった者がいる。そして、ジョン万次郎だけがアメリカ本土へ渡った。彼は、アメリカで教育を受けて何年も経ってから船に乗りハワイ経由で帰国した。
ジョン万次郎(中浜万次郎。「なかはま」は出身地の地名):1827年-1898年(明治31年)
1841年14歳のときに5人で漂流した。鳥島に漂着。143日間をすごしたのち、米国の捕鯨船に助けられた。
1人は亡くなった。残りの4人はハワイで下船し、万次郎だけが米国に渡り捕鯨船の船長に世話になった。船長の養子のようになった。成長して、捕鯨船で働いた。
1851年(江戸時代末期。明治維新が1868年)帰国した。1852年に帰郷した。
江戸幕府に所属して米国滞在で学んだことを活かして(いかして)教育者として活躍した。1898年(明治31年)71歳で死去した。
(1回目の放送)
さて、番組です。
三人で朝食モーニング、朝定食を食べます。おいしそうです。
高知は長崎と同じく、その土地のものがおいしい。
むかし、ビビる大木さんがプロレスラーのジャンボ鶴田さんの物まねをしたことが話題に出ます。
ジャンボ鶴田:2000年(平成12年)49歳没
3人が、ジョン万次郎漁師グループが出港した港町に立ち寄ります。
宇佐湾(うさわん)というところにある港です。
ビビる大木さんが、踊るように喜びを表現します。
宇佐(USA)からUSA(アメリカ合衆国)へ旅立ったと熱く語りを入れます。(なるほど)
いい感じでした。
ビビる大木さんがストーリーテラー(語り部(かたりべ))として、テレビをつくりたいというような話をされて、三人はおおいに盛り上がりました。
いい感じです。
(2回目の放送)
足摺岬の近くにあるジョン万次郎の生誕地と資料館、食事処をたずねますが、東野・岡村のおふたりの後ろ向きな態度が続きます。
食事処では地元名物ぺら焼きを食べて盛り上がりましたが、かんじんのジョン万次郎についてはおふたりとも関心がありません。
ふたりとも歴史に興味がありません。歴史も知りません。食べ物は好きです。
いつものように、ゲストイジメ、ゲストいびりが続いて、見ていて、ちょっとなあという気分にさせられました。
ビビる大木さんが、大河ドラマ3本に出ておられたことは知りませんでした。「新選組!」「龍馬伝」「花燃ゆ」。たいしたものです。江戸時代、幕末ものですな。
東野・岡村のふたりが嫌がったのは、訪問地がとても遠くて車移動での時間がかかること(新幹線で東京-大阪間ぐらい。車だと途中休憩も入れて、3時間ぐらい高知空港からかかるでしょう)
ジョン万次郎宅が復元であること。加えて現地ではない。もとあった場所には民家が建っているそうです。現地の近くで復元された家が展示用に建っている。
資料館での展示が、ジョン万次郎死後のデニム生地(ジーンズ)に関するものであること。
そんな感じでした。
まあ、ビビる大木さんの顔がつぶれますなあ。
旅猿での東野・岡村コンビはありのままのお笑い芸人です。予定調和の態度はとりません。
ビビる大木さんは、もうどうにでもなれですな。
次回の放送が高知編のフィナーレ(最後)だそうです。
たしかに、スケジュール通りに動く旅は楽しくありません。居たいところにずっといたいものです。
あとは、体の負担をともなう行動はイヤなものです。
(3回目の放送 フィナーレ)
歴史に興味がないふたり(東野・岡村)を中心において、歴史を旅する企画をする意味があるのだろうか。
終始つまらない対応をするおふたりさんです。
ビビる大木さんや地元の観光協会の人たちがかわいそうです。
足摺岬の絶景を見て、宿泊したホテルの広いテラス席で太平洋の雄大な大海原を観て感動したふたりのようすには、救われるものがありました。
ホテルが用意してくれた部屋も食事もたいへん豪華なものでした。関係者の方々のご配慮が伝わってきました。
くさっていたふたりの気持ちが変化するほどのいい部屋、ロケーション(展望)でした。カツオの藁焼き(わらやき)とか部屋の水蒸気に炎色の照明をあてた演出も良かった。味わいがありました。
翌朝は、高知空港まで一般道を走って、飛行機移動で東京へ帰らなければならないので、朝4時起きです。まあ、仕事です。がまんしてください。
食事終わりのときには、東野さんが、ドラマ「北の国から」の名シーン、田中邦衛さんのセリフ「まだ食べてるでしょうーが!」が出て楽しかった。
4月からの旅猿28は、福井県からスタートだそうです。4月13日月曜日の深夜放送だそうですが、わたしは動画配信サービスで見ます。
ゲストは、おぎやはぎの小木博明さんだそうです。楽しみです。
(2026年(令和8年)4月10日金曜日追記)
2028年(令和10年)大河ドラマが、ジョン万次郎に決定されました。
びっくりしました。
旅猿に出ていたびびる大木さんも資料館の館長さんも大喜びでしょう。
おめでとうございます!
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