ひとりじめ 浅田美代子 文藝春秋

ひとりじめ 浅田美代子 文藝春秋
わたしは中学校の修学旅行では、修学旅行専用列車(ディーゼルカー)『飛梅号(とびうめ号。名称は大宰府の菅原道真公(すがわらのみちざね)にちなんでいます)』で、福岡県内にあった地元の駅から京都駅まで行きました。親たちに見送られて、朝8時頃地元の駅を出発して、夕方5時ぐらいに京都駅に到着した記憶です。
帰りは、国鉄がストライキをしていて、大阪駅のホームに新聞紙をしいて座り、ずーっと飛梅号が来るのをホームで待っていました。もう今となっては、遠い記憶です。この本の著者である浅田美代子さんの歌、『赤い風船』をみんなで歌っていました。
そんな記憶を脳裏によみがえらせながらこの本を読み始めます。
(1回目の本読み)
2021年(令和3年)に発行されている本です。
浅田美代子:1956年(昭和31年)生まれ。1973年(昭和48年)ドラマ「時間ですよ」の劇中で歌った「赤い風船」が大ヒットしました。
まず、ざーっとなかみを確認しながら、最初のページから最後のページまでをゆっくりめくります。
全体で、191ページあります。
エッセイが26本あります。
出てくる番組名や映画名などは、「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「朝が来る(小説も映画も名作だとわたしは思っています。辻村深月(つじむら・みづき)作品)」、
吉田拓郎さんには、19歳のときに出会った。21歳のときに吉田拓郎さんと結婚した。
28歳で離婚した。
中学校から厳格な女子校に通っていた。
沢田研二派(ジュリー)、萩原健一派(ショーケン)がいた。
自分はショーケン派だった。
16歳で芸能界に入った。
父親を許せなかった。
「飲む、打つ、買う」の人だった。「アルコール、博打(ばくち。ギャンブル)、買う(女遊び)」
(むかし、うちのこどもが、「打つ」は、「覚せい剤を打つ」だよねと聞いてきたので笑ったことを思い出しました)
両親は不仲だった。父親は母親に暴力をふるう人だった。物を投げて壊す人だった。
最愛のパートナーは、4匹の犬である。
樹木希林さんは、8匹の猫を飼っていた。
樹木希林さんと出会ってから46年間がたった。
樹木希林さんが癌になってから14年間がたった。
2018年(平成30年)9月15日、樹木希林さんとお別れの時が訪れた。
あれから3年がたった。
(2回目の本読み)
浅田美代子さんは、生まれも育ちも東京麻布だそうです。都会人ですなあ。
東京タワーの西、六本木とか麻布十番あたりですなあ。
自営の父、専業主婦の母、2歳下の弟さんが家族です。
高校2年生のときに、神宮外苑のイチョウ並木あたりで芸能事務所の人にスカウトされた。
両親は大反対した。
どうせ受からないからと、ドラマ「時間ですよ」のオーディション(審査)を受けた。
どうせ合格しない。不合格の結果を聞いたら、きっぱり芸能界をあきらめなさいと両親に言われた。
合格した。2万5000人のなかから選ばれた。(すごい!)
ドラマ「時間ですよ」のなかのこととして、
トリオ・ザ・セント(銭湯せんとう。お風呂):樹木希林、堺正章、浅田美代子
アットホームな雰囲気で、みんなでドラマをつくろうという意識が高かったそうです。
演技以外のことも教わったそうです。
いまどきのように、効率主義ではなかったそうです。
ギャグとして、「そうだ、ウルトラマンを呼ぼう!」
当時の樹木希林さんは、30歳ぐらいだったそうです。
樹木希林さんは、浅田美代子さんにとって、「恩人」というような書き方がしてあります。芝居の師匠、同志、姉や母のような存在、かけがえのない女友だちだそうです。16歳で出会って46年間付き合いが続いた。途中7年間の結婚期間だけ疎遠になった。
66ページまで読んできてふと、この本のタイトル「ひとりじめ」の意味を考える。
樹木希林さんを作者が「ひとりじめ」しているという発想しかわいてきません。
さて、ほんとのところはどうだろうか?
(今書いたことと同じことが、188ページに書いてありました)
著者にとって芸能界は自分たちの職場だそうです。
そして、著者は、遊ぶことで世間を学んだそうです。
遊ぶことで人とつながった。
自分を「女優」と書くのは恥ずかしかった。職業欄には、「自営業」と書くことがあった。
年齢を重ねて、50歳を超えた女になったとき、もはや、(男性の)相手から求められないような気がして気が落ち込んだとあります。意外です。
60代になった今は、どう見られてもかまわないという境地に達したそうです。
樹木希林さんは、31歳で、ドラマ「寺内貫太郎一家」で、おばあさん役を演じたそうです。
当時の樹木希林さんは、スタイル抜群だった。
割烹着(かっぽうぎ)を着て、そのスタイルを隠した。
16歳で芸能界に入って自分はまだこどもだった。
21歳で結婚した。
両親には結婚を反対されたが、樹木希林さんが、「……もうやられちゃったんですから」と両親に言った。
結婚して、7年間の結婚生活を経て離婚した。
1970年代に、ロックVSフォークの時代があった。
ロックの内田裕也さんは、フォークの吉田拓郎さん(浅田美代子さんの夫)がキライだった。
女は家に居て家のことをやってほしいと言う男の人がいます(前夫吉田拓郎氏)
お金があるからそういうことが言えます。
庶民の夫婦は共働きをしなければ生活費が足りません。子育ても、こどもを保育園に預けて働きます。こどもが、ママは家にいてほしいと言ったときは、「お金が無くて、大学に行けなくてもいいのか」と、こどもに質問をぶつけます。すると、こどもは、「働いてください」と返事します。それが庶民の親子のやりとりです。
内輪話(うちわばなし)や、今だから話せる暴露話(ばくろばなし)が続きます。
寿命が来て、みんな死んでいきます。西城秀樹さんが、2018年(平成30年)4月に63歳で亡くなっています。
西城秀樹さんは、純粋でまっすぐな人で、少年みたいな人だったそうです。
46歳で結婚されて、こどもさんを3人もうけています。
結婚に至るまでのあれこれが、人間関係を含めて書いてあります。
樹木希林、内田裕也夫婦のようすが詳しく書いてあります。同居はしていないけれど、行き来はよくあります。
内田裕也さんはアルコールを飲むとめんどうなことになるので、もっぱら昼食ランチで食事会に参加します。
意外ですが、浅田美代子さんは、料理が得意です。
「ふだんはおおざっぱな性格だけど、料理については細部まで計算しつくして作っているつもりだ……」とあります。
食べるものに対してこだわりがある人です。
樹木希林さんはハワイが好きだった。
樹木希林さんとの思い出話が続きます。
夫婦関係については、「裕也は99%はダメ人間だけど、1%だけ光るところがある」
わたしが思うに、相手に尊敬できる点がひとつでもあれば、そのほかのイヤな面はがまんできるということはあります。
そんなおふたりも亡くなってしまいました。
内田裕也さん 2019年(平成31年)3月 79歳没
樹木希林さん 2018年(平成30年)9月 75歳没
樹木希林さんは、「与える人」だった。
東日本大震災の被災者にたくさん寄付をした。
樹木希林さんに勧められて、2017年に邦画に出た。
実年齢62歳の女性が、38歳と偽って、男たちをだまして、投資名目で男たちから大金をだましとる役柄だった。(実話がモデルだそうです。「つなぎ融資の女王」という事件があったそうです)
映画のタイトルは、「エリカ38」だそうです。
樹木希林さんと共演した。樹木希林さんの邦画としての出演最終作になったそうです。樹木希林さんは、完成品の映画を観ることなく亡くなったそうです。
河瀨直美映画監督:浅田美代子さんは、邦画「朝が来る」に出演した。そのときのことが書いてあります。
監督からは、「役を演じるのではなく、役を生きることを求められる……」そうです。
わたしは、「朝が来る 辻村深月(つじむら・みづき)作品」は、本は読みましたし、映画も観ました。いい作品です。
なにかしら順番が逆の著者です。
結婚して、離婚して、それからやっと、恋愛が始まっています。複数の恋愛です。著者は三十代です。恋愛遍歴が書いてあります。相手を変えながらの熱烈な恋が続きます。
結婚願望はなかったけれど、恋はしたかった。「女」ですなあ。
樹木希林さんからは、男女のことについて、こう勧められて(すすめられて)います。
「……人生は一人で歩むよりも、つがいになって歩んだほうが面白いからね……」
離婚に関することがいろいろ書いてあります。
離婚の理由は言いたくないそうです。いろいろなものごとが積み重なった結果、離婚に至ったそうです。
もうひとつ、父親に対する憎悪について書いてあります。
「ずっと、父親がキライだった」
家庭内暴力を振るう人だった。愛人がいる人だった。
両親は離婚した。父親は愛人といっしょになった。
父親は自分の親の代からの会社を引き継いでとてもお金持ちだったが、離婚後、愛人は父親から離れていって、人にだまされて財産を失い、最期(さいご。命尽きるとき)はひとりぼっちで、病院で死んだ。
病院から、遺体の引き取り手がないから引き取りに来てくれと母親に依頼の連絡があった。
しかたなく、母親と弟が遺体を引き取って来た。そんなことが書いてあります。どこの家でも、そんなやっかいな話はかかえていると思います。
「あのとき、離婚して良かったと思う……」
「(夫にするのに)ミュージシャンは、もうこりごりだ……」
わたしは、長いこと生きてきて、父親を嫌う(きらう)娘って、あんがい多かったと思い出します。
父親が、自分をサポートしてくれなかった。見捨てた。そんな話はいくつか聞きました。
だから、父親の葬式には出たくないという話も聞きました。
男尊女卑の世界ですから、女性にとっては不満がいっぱいあるのでしょう。
明石家さんまさんとのいい関係(性別を超えた親友関係)について書いてあります。
さんまさんもこどものころは苦労されました。なにかの記事で読みました。
さんまさんは、実母を3歳のときに病気で亡くし、自分がまだこどものとき、実父が連れ子のいる女性と再婚して継母を迎えたものの、継母の発言で、自分のこどもは自分の連れ子だけだという話を聞いて、お兄さんとふたりで、二段ベッドで泣いたというような文章を、どこかで読んだことがあります。
樹木希林さんは、8匹の猫を飼っていた。(それぞれ天国へ見送ってからは、もう飼わなかったそうです。
浅田美代子さんは、ワンちゃんを4匹飼っていた。犬に心を支えられたという言葉が書いてあります。
母は68歳で、急性リンパ性白血病になって、70歳で亡くなった。
最後半部を読みながら思ったことです。
著者は、人生のほとんどの時間をもうすでに生きてしまった人です。(まあ、わたし自身もそうですが)
お世話になった人たち(年上の人たち)は、ひとりずつこの世からいなくなっています。
こちらの本を読んでいろいろ勉強になりました。
人はそれぞれ負担になることを抱えながら長い人生を歩んでいくということです。
あとは、人の縁についてです。親しい方たちと濃密な時間を過ごされています。
このエッセイの冒頭に中学生向けの修学旅行専用列車のことを書きました。
日光旅行をした時に、栃木県JR日光駅で、修学旅行専用列車を見たことがあります。
わたしが中学生のときに乗った「飛梅号」とは異なる電車ですが、ここにそのときの写真を落としてみます。2008年(平成20年)6月のことでした。
JR日光線、修学旅行列車
JR日光駅に到着したときに撮影しました。右側がJR日光線で、左側が修学旅行専用列車です。
小学生たちが乗車していて、このあと出発していきました。今でも修学旅行列車ってあるのだなあとびっくりしました。

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