おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 本と映画

熊太郎


おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 本と映画


2018年(平成30年)1月の読書感想記録です。

おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 河出書房新社


 タイトルの意味は、「おらは、おらで、ひとりで、生きていく!」という意思表示ととらえて、読み始めました。(読みながら、やがて、おらは、おらで、ひとりで逝く(いく。死ぬ)けれどもという、反対の意味に考えが変わりました。その後、どうも、ひとりで行くが妥当らしいとなりました)


 東北弁がきつい。全部この調子だったら、理解に苦労する。(そんなことはありませんでした。されど、わかりにくい。)

 どうも、おらは、二人いるようです。自問自答です。


 一人暮らし高齢者であるおばあさんのお話です。

 一人称のようで、一人称ではない。

 

 休憩場所のない長文が続きます。読むのに少ししんどい。

 8ページにあるジャズセッションの表現は、リズミカルで良かった。おもしろい。

 詩が挿入されているのですが、うーむ。詩の挿入をすると小説の構築が崩れる気がして、わたしは好みません。

 

 桃子さんを支える人として、「ばっちゃ(亡くなった祖母)」

 娘直美さんとの関係にこだわりあり。(こだわらないほうが、幸福になれると読み手であるわたしは思う)

 

 44ページあたりからおもしろくなってきました。(されど、具体的な伸びはなかった)

 なかなか理解することがむずかしい作品です。


 孤独と付き合う内容です。

 東京オリンピック(昭和39年開催)がからめてあるのは、2年後(2020年)に開催される東京オリンピックを意識してあるのかも。(2018年に、この本を読みました)


 今は一人暮らしとなった75歳日高桃子さんの過去の生活内容は苦しい。

 猛烈な孤独感が満載された作品です。

 夫が病死、ふたりのこどもは家を出てしまった。

 自分は(日高桃子さんはこれまで)何をしてきたのだろう。


 ところどころむずかしいのか、感覚の違いなのか、意味がわからない部分があります。笑いでいっぱいという作品ではありません。


 ひとりぼっちの淋しさを笑ってごまかす。心の声は、桃子本人の声以外にも亡夫の声であったり、祖母の声であったりもする。


 良かった表現などです。「長年の主婦という暮らし」、「桃子さんの心情を地球の地層で表す」、「この人には、この人の時間が流れている」、「(心の動きを)柔毛突起」、「早く起きても何もすることがない」、「目的がある一日はいい」、「町も老いる」、「人の期待を生きる(ことが苦行)」、「全体でもあり部分でもある」、「食べらさる(さあ、食べるぞ!)」、「まぶる(見守る)」、「自分の心を友とする」


 ちょっとこの本は、わたしには、むずかしすぎました。



2018年1月記事

(再読してみました) おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 文藝2017冬号


 芥川賞受賞作品です。一度読みましたが、よくわかりませんでした。ということで、再読です。今度は単行本ではなく、雑誌で読んでみます。

 雑誌掲載の文章印刷のほうが読みやすかった。文字が目に優しい。一度読んで、すでに筋書を知っているということもあります。


 東北弁を標準語に翻訳しながら読む読書です。文章創作においては、昔は、方言表記を避けたものですが、時代が変わりました。頭脳内翻訳はけっこう疲れますが、2回目なので、方言がとろけた感じがします。


 東北弁をからめて、「わたし」と「おら」の対立があります。おらは、おらであって、わたしではないのです。

 文章のスタイルは、一人暮らし高齢女性のつぶやきです。


 主人公は、娘との疎遠があります。息子もいるのですが、どうも子育てに失敗しています。

 からめて、実母との対立があります。対して、祖母との密着があります。

 自分の生き方を貫けば、娘からも息子からも見放されて孤独になる。母親に苦労をかけたばちがあたった。


 主人公の名前は、日高桃子さん。理解者だった夫の周造さんは病死されています。


 八角山の麓(ふもと)には、桃子さんがたくさんいて、霊魂となって、死の時を待っている。そこに、宮澤賢治作品がからんでくる。


 こどもよりも自分自身が大事だった。

 若いころには考えられなかった感情が老いた今ある。


 娘から孫娘への伝承と祖母、母、自分への継承がある。


 命(生きていること)の賛歌でした。



(その後)

 わたしの妻の話だと、黙読するとわかりにくいけれど、声を出しながら音読をするとすーっと文章が頭に入ってくるそうです。味わいがあるそうです。



おらおらでひとりいぐも 邦画 2020年(令和2年)公開 2時間17分


監督:沖田修一

出演:田中裕子、蒼井優、東出昌大(ひがしで・まさひろ)、濱田岳、青木崇高(あおき・むねたか)、宮藤官九郎、田畑智子、岡山天音(おかやま・あまね)、六角精児、


日高桃子さん:田中裕子さんと、若い頃が、蒼井優さんが演じられました。


桃子さんの亡夫の周三さん:配役に問題がありました。わたしは偶然この男性俳優さんの不祥事発覚説明記者会見をテレビで見てしまいました。「奥さんと不倫相手とどちらが好きなんですか」と質問されて、「(押し黙った長い沈黙のあと)ここでは、答えられません」というような内容で返答された記憶です。ひっくりかえるほどびっくりしました。(どういう状況であったとしても、この場合の答は「妻」しかありえません。俳優の頭脳をもっている人とは思えません)男優さんは、この映画で、日高桃子さんの良き夫という位置づけで出演されています。撮影後のことだったのかもしれませんが、ミスキャスト(誤った配役)になってしまっています。映画の雰囲気がだいなしになりました。


さびしさ1:濱田岳さん

さびしさ2:青木崇高さん(あおき・むねたかさん)

さびしさ3:宮藤官九郎さん

桃子の娘:田端智子さん

桃子の声「どうせ」さん:六角精児さん

 

 最初は、主役の田中裕子さんが、お若く見えましたが、進むにつれて、やはり老けて見えました。設定は74歳ぐらいだったと思います。


 女性のひとり暮らし。「老い」があります。


 妖精のように三人のさびしさ男がいます。ジャズの話になり、いい流れです。洋楽と和風の光景の対比が効果的に心理に響きます。こういう表現のしかたがあるのかと感心しました。


 六角精児さんもおもしろい。昔、男が50代になると、ふとんで朝、目が覚めても夢も希望もないという文章を読んで感心したことがありますが、そんな感じです。向田邦子さんの作品だったと思いますが記憶がおぼろげです。

 

 マンモスが出てきます。2005年あいち万博、マンモスのはく製展示がありました。日本では、万博といえば、いつまでたっても大阪万博と定義されます。忘れられたようになった愛知万博ってなんだったのだろう。愛知県民としては、さみしい。


 薬を飲む日高桃子さんです。たくさん飲みます。いったい何錠飲むのよ。


 車の営業さんに車の購入を勧められている桃子さんが言ったセリフが、『(人生で購入する)最後の車になるのかしら』で、ちょっとびっくりしました。そのセリフは先日わたし自身が言った言葉です。この車が、わたしの人生で最後に買う車になるだろうと家族に話をして車を購入しました。高齢者が運転する車での人身事故が社会問題になっているので、運転は、70代なかばでやめるつもりです。


 こどもはどうして恐竜が好きなのか。

 恐竜がいた時代は、わたしが独自につくったわたしのための歴史ノートによると、

 宇宙の始まり:138億年前

 地球誕生:46億年前

 恐竜時代として、

 三畳紀(さんじょうき。2億年ぐらい前)

 ジュラ紀(1億5000万年ぐらい前)

 白亜紀(7000万年ぐらい前)

 恐竜は、6600万年前ぐらいに、隕石の衝突で気候が変化した地球環境が原因で死滅した。

 と記録されております。


 大正琴(たいしょうごと)の話が出ます。名古屋市が大正琴発祥の地です。

 福岡県で暮らしていたわたしが中学生のとき、夏休みの課題発表で、日頃、がらの悪い不良に見える怖そうな(こわそうな)男子が、おばあちゃんに教えてもらったと言って、大正琴で曲をしっかりひいたので、教室一同びっくりしたことを思い出しました。大拍手でした。

 いっぽう、わたしの発表ですが、わたしは、手乗りジュウシマツを育てようとして、ジュウシマツをヒナから育てたのですが、おふとんで手のひらにのせていっしょに寝ていたら、朝起きたら、ヒナが、わたしの背中の下でぺっしゃんこになって死んでいた話を発表しました。ばかうけでした。

 映画の映像を観ていて、そんなことまで思い出しました。この映画は、年配の人が観て楽しむ映画です。


 1964年(昭和39年)東京オリンピックの映像が流れます。2020東京オリンピックはどうなるのだろう。なんだか、変なことになっています。(コロナ禍が訪れました)


 <また、タバコシーンが出てきました。喫煙シーンのない日本映画を観たい。名優の高倉健さんは、撮影のためにタバコはポケットに入れていますが、わたしは、タバコは吸いませんとおっしゃっていました>


 日高桃子さんのご自宅は、大きくて立派な戸建てです。でもひとり暮らしです。長男か長女と同居生活ができたらいいのに。

 桃子さんの孫娘はとってもいい子です。孫娘は、ばあばは(ひとり暮らしで)自由でいいねと言います。心やさしい女の子です。孫娘自身は、母親に怒られてばかりだそうです。


 「愛しちゃったのよ ララランラン」の歌声が続きます。わたしよりも10歳ぐらい上の世代の人たちの流行歌です。


 東北の山に降るらしき雪景色の映像が心に沁みます(しみます)。


 東北出身の桃子さんは「(ひと呼吸入れて)わたし」と言う。本当は、「おら」と言いたい。


 わけあって、ふるさとを捨ててきたのに、ふるさとが恋しくなる日高桃子さんです。


 愛はくせものだ。「愛<自由」 愛よりも「自由」「自立」のほうが大事だ。(このあたりはむずかしい。考えてもしかたがない気もします。


 映画を観ていて、静かです。ちょっとねむい。少し、ねむってしまいました。


 シーンにある庭木の剪定、切り落としは見回りの警察官がやる仕事とは思えないけれど。まあいいかです。

 わたしが思うに、戸建てには、広い庭はなくてもいい。樹木や植物の手入れとかお世話が大変です。

 

 日高桃子さんは、音信不通になっている長男がらみのオレオレ詐欺にひっかかって250万円を失いました。

 そのまえに、長女が孫娘を連れて、孫の習い事のためにお金を貸してほしいと日高桃子さんに頼んできましたが桃子さんは断りました。

 長女は、オレオレ詐欺の話を聞いて怒りました。母親は、疎遠になっている長男ならお金を出す。交流がある長女には出さない。桃子さんは、長女から怒られてもしかたがありません。

 

 人生のふりかえりがあります。

 幸せには終りがくる。

 夫が病気で死んだとき、日高桃子さんいわく、「一点の喜び」があった。(ひとりで生きてみたかった)夫のはからい(配慮、気づかい)があった。夫の死を受け入れるために、おらが見つけた理屈だ。というような哲学的なお話があります。


 日高桃子さんの山登りのようなお墓参りです。バスに乗らずに歩いて行きます。途中の場所で、ここであんなことがあったと記憶がよみがえります。ここで、子どもたちの基地遊びがあった。

 人生ってなんだろう。いいときもあれば、そうでないときもある。そして、最後はひとりです。


 日高桃子さんが考えます。自分は親を捨てた。そのせいか、自分も子どもに捨てられた。


 気の遠くなるような時間をつないで、奇跡のような人生だという言葉に共感しました。

 だれしも長い人生のなかで、命を落とすようなピンチに複数回遭遇していると思います。死なずに生きのびている人が多い。案外幸運に恵まれている。人は、自分が思うほど自分の人生は不幸ではない。


 この部屋には、見えないけれど、おおぜいの人がいるの。みんなまぶってくれる(見守ってくれている)


 幻想的な作品でした。

 ただ、わけがわからないという感想をもつお客さんも多いと思います。