光のとこにいてね 一穂ミチ(いちほ・みち)

光のとこにいてね 一穂ミチ(いちほ・みち) 文藝春秋
小瀧結珠(こたき・ゆず):7歳から成人までが描かれます。
父は医師。母は専業主婦だが、隠し事あり。兄は高校三年生の大学受験生だがなにか変。異様な家族です。
校倉果遠(あぜくら・かのん):小瀧結珠(こたき・ゆず)の同級生。
団地に住んでいる。母子家庭。母親がおかしい。いわゆる毒親。小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親も毒親。
小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)が7歳のときに出会って、その後のふたりのことが書いてある作品です。
ふたりの生活環境は真逆ですが、家庭に恵まれていない点は共通しています。
物語の進行は、ふたりが交代ばんこに語る形式で進んでいきます。
最初から不穏な空気が流れています。
重苦しく、悲しみのこもった物語が始まりそうです。
親にはなってはいけない人がいて、それでも生まれてきたこどもは、生きていかなければならないつらさがあります。
書き方がうまい。
両手を伸ばして、空をつかむような描写が良かった。
母子家庭のこどもは、父親がいる家庭の雰囲気に興味があります。
すごいなあ。なかなかこうは書けません。
こどもから母親への質問、『なんでうちにはお父さんがいないの?』に対して、『ろくでなしだから』。凄み(すごみ)があります。すごみ:ぞっとするような恐ろしさ(おそろしさ)
お金持ちの家の小瀧結珠(こたき・ゆず)は、団地住まいの校倉果遠(あぜくら・かのん)を見下します。でも、小瀧結珠(こたき・ゆず)は、そのことについて罪悪感をいだきます。微妙な心理描写がうまい。
詩的な表現が続きます。
文章がキラキラ輝いています。
カノン:美しいクラシック曲です。パッフェルベルのカノン。
校倉果遠(あぜくら・かのん)の名前と重なります。
64ページに、本のタイトルが出てきます。
『光のところにいてね』
雲間から地上に降りてくる光の柱で照らされる部分が、『光のところ』です。
わたしが思うに、その陽だまりで、人の心のいろいろなものが渦巻のように回っているのです。
比較があります。
小瀧結珠(こたき・ゆず)は、医師の娘で、高校生になるまでに、1円も自分で稼いだことがない。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、働いて、奨学金をもらいながらの勉学です。
小瀧結珠(こたき・ゆず)には、『知識』はあるが、『(人生)体験』はない。親の支配下にあって、自立はしていない。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、逆で、『知識』はないが、豊富な、『(人生)体験』がある。親を拒否して、自立している。
雨のところ:雨が降っている。校庭。通り雨だから、こっちは降っていないけれど、あっちは雨が降っている。
校倉果遠(あぜくら・かのん)は、母が嫌いだけれど、母を見捨てることはできない。
弱い人間は、身内を捨てる。強い人間は身内を捨てない。ただ、それが、正しいかどうかはだれにもわからない。
時はさらに流れていきます。
ふたりは、29歳です。
結婚して、こどもがいたりもします。
こどもは、学校に行けないこどもだったりもします。
フリースクールに通っています。
作者の二面性(貧困と富裕体験)が作品に反映されている作品だと感じながら読んでいます。
驚いたのは、小瀧結珠(こたき・ゆず)が、成人してから、ガラスのハートの人に変わっていたことです。心が傷つきやすい人です。
これまでとは、別の個性の人に見えます。
不思議な雰囲気がただよう文章であり、文脈です。(ぶんみゃく:文章の続きぐあい)。繊細(せんさい)、デリケート、傷つきやすい、感じやすい。
『……人間は変わるでしょ。それはいけないこと?』
『……(人を)捨てるのはいっつも弱いほう。』
母親は、娘が嫌いだった。
母親と娘には距離感がある。
友だちがいない登場人物ばかりです。
フリースクールの話が続きます。
この小説の目的は、学校に行けないこどものことなのだろうか。
会話形式で内容の進行をしていく手法の文脈です。
親の心理的支配下で、『いい子』でいた。
そして、破たんした。(修正ができないほどくずれた)
繊細な小説です。(ガラスのハートです。心が壊れやすい)
読み手の好みが分かれます。
混乱の一番の原因は、小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親にあるのでしょう。380ページに、『……パパのいびつさもよく見える……』とあります。
医師である父は、家庭人には向かない人です。
薬物投与の殺人か。
390ページ前半の文章表現は秀逸(しゅういつ)です。
小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親は、クレイジーです。
『……かわいがらなかったけど、ちゃんと世話はしたじゃない……』(こわい母親です。こどもは、ペットか)
404ページ、そういう展開にもっていくのか。驚きました。この話の場合、通報されても警察は迷惑でしょう。
ひとり暮らしをしたことがない人がいます。
わたしは、18歳から10年間ぐらいひとり暮らしをしたので、ひとり暮らしをしたことがない人の言動が不思議なときがあります。
ひとり暮らしは、気楽な反面、なんでも自分のことは自分でやらねばなりません。
高齢になって、配偶者を亡くして、生まれて初めてひとり暮らしになる人は、どんな気持ちになるのだろうかと考えたことがあります。
いつもそばにだれかがいて、幸せな時期が長かったいい人生だったといえないこともありません。
わたしがひとりで生活していた十代から二十代のころは、結婚して、家族がひとりずつ増えていくことが生活の楽しみでした。
450ページ、そういう流れか。
『光のとこにいてね』(そうか、『光』とは……(ここには書けません。十分理解できました)
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