「筑豊のこどもたち 土門拳」と、中国北京のこと。

筑豊のこどもたち(ちくほうのこどもたち 福岡県のむかしの炭坑地域です) 土門拳(どもん・けん カメラマン) 築地書館 と、中国北京(ペキン)のこと。
土門拳さんの写真集である「筑豊(ちくほう)のこどもたち」は胸にズシンときます。
撮影地は、昭和三十年代で、福岡県の産炭地(さんたんち。炭鉱)だったところです。
貧困と不安定な暮らしがあります。
1960年(昭和35)発表の写真集です。
写真集にある昭和三十年代のこどもの恵まれない暮らしぶりは、現在老齢期を迎えた本人たちにとっては、隠しておきたい、あるいは忘れてしまいたい暮らしだったと思いますが、今となっては、本人も忘れかけているくらい昔の出来事になりました。
現在、こどもたちの親は生きていても、かなりの高齢者か、すでに亡くなっている方たちが多いでしょう。
次の小さな写真は、わたしが訪れた中国北京(ペキン)の街中(まちなか)風景です。
2007年(平成19年)に訪れました。
乗車していた車の後部座席から撮影しました。
市街地を歩きながら、わたしは、不思議な感覚に陥りました。(おちいりました)
北京の市街地には、昭和30年代のみすぼらしい日本と、美しい高層ビル群が目立つ現代日本の風景が混在していました。
翌年2008年(平成20年)が、北京オリンピックの夏季大会でした。中国の人たちは、オリンピックの開催を目標に、とてもがんばっているようすでした。
街中に、人や車があふれて活力に満ちていました。
台車に横たわって物乞いをする少年や、パンツ1枚で堂々と人ごみの中をまっすぐに歩いてくる浮浪者がいました。
道路は人と車であふれ、走ってくる車は減速してくれません。歩行者優先の交通ルール社会ではありませんでした。
BGMのようなクラックションの音、加えて自転車とリヤカーと観光客向けの三輪車、車椅子も多い、小さな車からなつかしいオート三輪、大きな観光バスやトレーラーまで、こういうのを坩堝(るつぼ。いろいろなものが混在して存在している)というのだなあと感じました。
暗い夜、玄関前に置いた1台のテレビに住民が集まっていました。
下着姿の父親が、これまた裸同然の幼い息子をもちあげてあやしている。
廃屋(はいおく)とも思える小屋のようなところで、老若男女が生活していました。
そのようすが、タイトル「筑豊のこどもたち」の写真集のようすに似ていました。

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