母は不幸しか語らない 信田さよ子

熊太郎


2025年(令和7年)6月に読んだ本の感想記録です。

母は不幸しか語らない 母・娘・祖母の共存 信田さよ子(のぶた・さよこ) 朝日文庫


 邦画、『お母さんが一緒(江口のりこ、内田滋(うちだ・ちか)、古川琴音(ふるかわ・ことね)』を観て、こちらの本に来ました。3人娘の母親がキツイ人という話でした。


 本の帯に書いてあることです。

 『母親から過剰な期待をかけられ、過度な支配に苦しむ子どもたち』

 それから、本のカバーに書いてあることです。

 『母たちは長きにわたって娘に何を語り聞かせたのか。「あなたのために」という自己犠牲を盾(たて)に娘に強いる(しいる)ものを、母・娘・祖母の3世代を通し、時代的背景とともに徹底分析……』


 思い出すのは、ラジオのお昼12時から毎日流れているテレホン人生相談です。

 おばあさんからの相談があります。

 聞いていて、とても不思議なのです。

 おばあさん自身は、人生相談の当事者ではないのです。

 娘がどうしたとか、息子がどうしたとか、孫がどうしたとかです。

 そして、今は、娘も息子も孫も成人していて、それぞれ各自が各自の生活に責任をもつおとななのです。自分のことは自分で考えることができる年齢です。娘らは、いい歳をしているのです。

 ときおり、先生方が、あなたの干渉は余計なことですと突き放します。わたしも同感です。


 自分で自分の時間を楽しむ趣味がない人だとも思います。頭の中にあるのは、おもにお金のことです。ひたすら節約して貯金をすることが美徳で、自分も自分の親族も、お金は使っちゃいけないのです。

 これから、この本を読みますが、そんなこと(過干渉)が書いてあるのだろうなあと予想しながら読み始めます。


 目次にある言葉です。家族愛帝国、毒母、団塊世代、母はなぜ不幸しか語らないのか、教育虐待、孫によって延命する祖母、なんだか、内容は、暗そうです。


 『母』については、昔、美徳のイメージがありました。

 お母さんは優しい。

 お母さんは、こどものことを第一に考えてくれる。

 マザコンという言葉もあります。


 だけど、女だから母だから、女性の全員が、こどもを好きというわけでもないのです。

 個々の女性によって、母とか妻のやりかたが異なります。


 世間がもつ、『(思いやりがある)母』の役割、いいおかあさんを演じることは、かなりきついものがあります。


 こどもは、母親からの命令や指示を、絶対に服従しなければならないと思ってしまう。こどもの心が折れるということが発生してしまいます。母のほうもしんどい。


 放任主義もあんがいつらい。こどもは、親は自分のために何もしてくれないと思い込み、自分のことは自分でやらなければ、親はやってくれないというところから、学校を卒業したら家を出る。家を出たらもう実家へは帰ってこないというところまで決心することもあります。


 祖母が娘の子育てが心配で、口を出してくる。

 こちらの本は、祖母、母、孫娘という三世代の女性を柱にして書いていくそうです。

 なんというか、自分は男なので、女の世界の複雑怪奇さが表現されるのだろうと感じています。まあ、裏表があるのです。おこられるかもしれませんが……


毒親:2008年(平成20年)以降広がった言葉。ブーム(にわかなはやり)になった言葉。

 思うに、当時娘の立場だった人たちは、今は、母親の立場になっているのではないか。自分が母親になって、どんな感じなのだろう。


 アルコール依存症のことが書いてあります。

 アルコール依存症の親のもとで育ったこどもは、苦しみを味わうそうです。

 依存はなかなか治らない。

 『自分より弱い存在によってはじめて自分が承認される』→児童虐待に通じる。

 父から母への暴力がある。

 『しつけ』を理由に親がこどもを殺してしまう。


 読んでいて、内容がむずかしい本です。

 精神分析のことが書いてあります。

 母と息子の関係。日本では、結婚後も、母と息子の関係が継続していく。外国は切れるそうです。

 母と娘の関係は、昔は問題視されなかった。娘の側に不満があっても声をあげにくい世間の風があった。それが、2008年ごろから、「毒親」とか、「毒母」という言葉で、表面に出てくるようになった。

 娘は、母親からの、『解放』を望んでいる。

 研究論文を読むようです。


 団塊の世代の男の話です。

 精神論で物事をかたづけたがる。気合が足りない!

 えこひいきがひどい。

 神仏を信じたがる。

 群れることが好き。

 自分の人生が主で、家族の人生は従(じゅう)と考える。

 自信満々

 男は仕事で、女は家庭

 競争したがる

 男女平等を学んでいても、現実社会では実行できない。

 がんこで譲らない。思いどおりにならないと怒る(おこる)。

 固定観念が強い。

 自分の意思を押し付けてくる。

 なんだか、ボロボロですな。


 娘たちは、父親に、深い絶望を感じ、怒り(いかり)をもっている。

 ただ、父親は仕事に熱中していて、そもそも娘と接触することが少ない。

 仕事人間の父親は、家庭では不在がちだったから、存在感がない。

 母はそうではない。

 母親と娘の関係は深い。

 だけど、父親の責任は重い。関係ないとは、言わせない。こどもがへんなふうになったのは、母親ひとりの責任ではない。

 そんなことが書いてあります。


団塊世代:1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年)生まれの世代

 夫婦関係においては、こどもの教育や世話は、妻の仕事と責任とされた。

 夫は、自分は仕事が担当で、仕事に熱中していたから、こどもの問題は、妻の対応が悪かったことが原因だとして、自分の責任を回避して、妻を責める。

 妻は、夫に言い返すが、夫の脳みその中では、自分にも責任があるという発想はまったく生まれてこない。よって、妻は夫をあきらめる。夫を、いてもいないというような存在扱いをする。団塊世代の妻は挫折している。

 そんなことが書いてあります。

 ああ、そういうことってあるだろうなあと感じます。


 団塊世代の男性たちは、卒業後、企業に勤めた。

 団塊世代の女性たちは、結婚へとなだれこんだ。(この頃は、専業主婦の時代でした)

 女性は、24歳までに結婚しないと、『行き遅れ』扱いされた。

 女性は、RLI(ロマンティック・ラブ・イデオロギー(考え方。思想))で、結婚に夢をもっていた。

 1960年代なかばに(昭和35年代)、見合い結婚よりも恋愛結婚が多くなった。

 標準家族:サラリーマンの夫、専業主婦の妻、郊外のマイホーム

 家族を扱ったドラマ、『対岸の家事』が思い浮かびます。『専業主婦』は、今では、絶滅危惧種なのです。

 そして、長い歳月が流れて、女性は、おかしくなった。そんな経過が書いてあります。

 結婚は失敗だった。ご主人に失望したという話が延々と続きます。

 さらに、高齢になった親世代の介護がのっかってきます。高齢の親が、ことのほか、元気なのです。元気すぎるのです。

 

 全体で300ページぐらいあるうちの126ページまで読みました。

 読んでいると、元気がなくなってきます。

 夫婦は、お互いに助け合って生活していくものではなかろうか。

 一定の秩序の枠の中で暮らしていくものではなかろうか。

 そんな、感想をもちました。


 この本についてですが、母と娘の関係について書いてあると思って読んできましたが、内容は、『母』のことについて書いてあります。


 132ページに、母から受けた被害について、娘の言葉がたくさん出てきます。

 自分は、母から被害を受け続けてきた。母親は、父親に対する不満を娘に大量にぶつけてきた。あんたのとうさんはダメ人間だ。あんな人間と結婚するんじゃなかった。あんたもあんな人間と結婚したらだめだ。そんな感じです。

 さらに、娘を卑下して(ひげ。みくだす。ばかにする)、自分を高めて満足する母がいます。なんとしても、娘をほめません。娘に対して、あんたは、だめだ。責め続けます。

 

 教育虐待も悲惨です。母親がこどもの高学歴を目指します。

 ただ、現実を見ると、大学を出ても仕事をしていない人はたくさんいます。学力はあっても、仕事場の環境に適応できないのです。人慣れしていないのです。人生の体験が不足しています。

 本を読み続けます。まあ、ひどい。こわい。包丁を振り回す親がたくさんいます。殴る、蹴る、鎖を巻く。犯罪行為です。

 父親も母親も狂っています。

 動物をいじめることでストレスを解消するこどもがいます。

 この世は、闇(やみ)です。

 

 親世代が裕福で、こども世代がそうではない。こども世代は、親の資産をあてにしながら自分の老後などの未来を考える。あるいは、親の預貯金をこどもの教育資金としてあてにする。

 こどもは、就職したあと、短期間で仕事を辞めても、親たちの扶養で食べていける。

 こどもは、結婚しない。ずーっと、親と同居を続ける。こどもは、独立しない。

 母親は、孫の顔を観たい。娘に催促する。娘は、結婚しないし、出産もしない。

 娘は、母親の要求に耐えられない。

 高学歴で、エリートの仕事に就け(つけ)と要求されると同時に、結婚・出産・子育てもしろと要求される。さらに親の老後の介護もあてにされる。それでも、母親の要求にこたえようとがんばって、無理だとわかると、娘は精神を病む。

 成人した息子はひきこもりになる。孫は、登校拒否になる。まあ、暗い話が続きます。


 母はしつこい。ストーカーのように、自分の娘につきまとう。

 世の中で、『母』が聖人化されている。(慈悲深い理想的な人)

 現実において、そんなことはない。

 192ページにある娘の言葉です。『お母さんはずっと私たちの母じゃなかったよね。おばあちゃんの娘だった』。母はいつも、自分の母親の顔色をうかがいながら、話をして、行動をしていた。自分の母親にとって、いい娘であろうとした。自分のこどものことはあと回しだった。こどもをないがしろにした。(軽んじた(かるんじた))

 

 人前では言えない本音(ほんね)として、『母親が亡くなったので、うれしい。』(束縛(そくばく。言動の自由が制限されて相手に支配される)からの解放があった)


 かなり長いページと文字数を使って、人間の不幸とか、親による暴言・暴力による子や孫への支配に関することが書いてあります。かなり暗い内容です。


 多くの女性たちは、心から、『母のことが怖い(こわい)』と感じるようになる。


 娘は、自分を守るために、母親との間に、距離をとる。

 

 祖母が迷惑。孫に対する過干渉がある。


 進学も結婚も母の言うことをきいた。母は、娘の夫が浮気をしたとき、さっさと娘夫婦を離婚させた。その後、娘は、無気力な人間になった。娘は自分の人生なのに、娘の人生の決定権は母親にあった。


 悲惨な事例が続きます。

 祖母は、いないほうがいい。そんな祖母がいます。


 母親への恐怖や忌避感(きひかん。避けたい。イヤだ)がある人は、この本を読んでくださいというアドバイスがあります。

 文字数が多く、内容も暗いので、読むことがけっこうつらい。わたしは、後半部は、流し読みにしました。かんぺきに読まなくても、趣旨はよく伝わってきます。

 264ページに、結論めいたことが書いてあります。『母から離れよう』、『生きるためにはそれしかない』(そうしてください)

 捨てなければならない母親(あるいはその他の親族)もいます。そうしないと、自分が精神病になってしまうのです。

 

 外面(そとづら)がいい人は、家庭で暴れる。こどもに暴力をふるう。

 そうやって、本人は、心のバランスを保っている。

 なんというか、今回の読書は、人間学を学ぶようでした。