歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省

2023(令和5年)年12月に読んだときに書き残した感想文です。
歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省(しおみ・さんせい) 角川春樹事務所
今年4月以降(2023年のことです)、NHKBSの再放送で、『あまちゃん』を見ていました。塩見三省さんは、岩手県三陸を舞台にして、小田勉さん(べんさん)を演じておられました。琥珀(こはく)をいつも大事そうに磨いておられました。
熊太郎『塩見三省さんは病気になって亡くなったねーー』
熊太郎の妻『そうだね。お気の毒だったねぇ』
調べたら塩見三省さんはご存命でした。失礼しました。
申し訳ないというお詫びの気持ちもこめて、塩見三省さんのエッセイ集を読み始めます。
2014年(平成26年)3月19日、病院に救急搬送されています。脳内出血です。左半身まひで、手足に障害が残っておられます。
ご本人が66歳のときです。現在75歳であられます。(2026年の現在は78歳)
この本は、ご本人が73歳のときに書かれていて、7年間マヒした左足をひきずって生きてきたと記されています。
明日は我が身かもしれません。身につまされます。
自分の体験だと、だいたい48歳ぐらいから体が壊れ始めます。元に戻りません。
目が見にくくなります。体の関節が傷んで(いたんで)、わたしの場合、右肩が抜けたような状態が10年ぐらい前からずーっと続いています。頚椎症(けいついしょう)の後遺症みたいなものだと思います。いちおう整形外科は受診しました。
歯や皮膚も傷みます。(いたみます)。耳も聞こえにくくなります。
脳みそは理解力が落ちます。相手が何かを話していることはわかるのですが、何を話しているのかがわからないことがあります。
下半身に神経痛のような痛みが走ります。今年(2023年)初夏に坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)を患いました。(わずらいました)
全体的に右半身が悪くなっています。まだ使える左半身に頼りながら生活しています。指の先には湿り気がなくなり、本や新聞のページをめくることができません。
先日は、分別ごみをごみ集積場に出しに行ったとき、いっぱい落ちていたどんぐりを左足で踏んで、すってんころりとあおむけに転倒して、地面にお尻の左側を強く打ち付け、細い溝のコンクリート部分に右足のむこうずねをあてて、打撲(だぼく)とすりきずで、右足のすねに血がいっぱい出てしまいました。(2か月ぐらい通院して治りました)
歳をとると、ころびやすくなります。もう若い頃のように、無理がききません。自分の足元に何があるかよく注意して歩かねばと思い知らされました。
老齢者に、がんばれとか、あきらめるなとかいう言葉は禁句です。がんばったら死んじゃいます。
世の中では、高齢者の雇用延長とかの政策の話がありますが、どうしてそんな発想ができるのか不思議です。同世代ですでに病気で亡くなった知り合いが何人もいます。
日本人全員が90歳ぐらいまで生きられるわけではないのです。
東京国会議事堂付近で働いている人たちは(官僚さんたち)、なにか、思い違いをされているのではなかろうか。73歳ぐらいで亡くなる方もけっこうおられます。働け、働けばかり言われて、余生を楽しめずに死んだら無念です。
余談が長くなってしまいました。
塩見三省さんは、脳内出血によって、自分の人生は中断せざるを得なくなったと記されています。
ただ、これで人生をすべてあきらめるわけにはいかないのです。
健康を失うことで、今まで見えていなかったことが見えるようになったということはあります。
やすらかに人生を終えたいのであれば、アルコールの大量飲酒はやめるべきだし、ニコチンもだめです。薬物依存もペケです。増えた体重はなかなか減ってはくれません。暴飲暴食はやめたほうがいい。体の健康も大事だし、心の健康も大事です。
塩見三省さんは、ドラマの共演者だった手術体験がある星野源さんに勧められて(2012年くも膜下出血(平成24年))、文章を書き始めたそうです。
書くことで、生きる希望が湧いてきたそうです。
iPad(アイパッド)で書くそうです。右手の人差し指一本で、一文字(ひともじ)ずつ打つそうです。脳みそは半分しか活動していないと書いてあります。書くことで、それまで白黒だった世界が、色彩のある世界に変わったそうです。
『第1章 私の病との闘い 「人生が中断する」ということ、立ち直るということ』
かなり重いお話を、力強く書かれています。
脳内出血後、左半身が動きません。感覚がないのに、痛みがあります。痛みは脳で感じているらしい。塩見三省さんの右脳で出血がありました。
世間から見捨てられたように、病院のベッドで、『「一匹の虫」となって横たわり……』とあります。
塩見三省さんは、病院側と対立されています。病後の生活のしかたについてです。
これまでなじみ親しんできた和風の生活を、バリアフリーに近い洋風の生活に変えることが嫌です。
生まれて初めて長期入院されたそうです。珍しいと思いますがそういう人って多いのかなあ。
人間は一生のうち必ず一度は入院を体験すると思います。わたしは内臓が壊れて、二十代のころに長期入院の体験があります。
救急搬送され、治療後のご本人のショックは大きい。
鏡で自分の姿を見て、『誰なんだ、この男は……。』と思われたそうです。
感覚のない左手を右手でよいしょと持ち上げて体にのせる。
リアルなマヒのようすや、リハビリのようすが書いてあります。鬼気迫ります。(ききせまります:おそろしい。身の毛もよだつ(毛がさか立つ))
ほかの患者さんのことも少し書いてあります。
交通信号の色はわかるけれど、『赤』で止まり、『青』で進むということがわからない。
テレビの世界をあきらめる。(役者の出演者として)
激しくて強い記述内容です。ぐっと胸をつかまれた気持ちになります。周囲の人たちも含めた闘病記です。
孤立していきます。
車の運転をやめて車を処分する。
相撲(すもう)のテレビ中継が、心のなぐさめになる。
杖(つえ)をついて歩く。転倒して迷惑をかけて心ない言葉を浴びせられたことがあるそうです。
不様:ぶざま。みっともない。醜態(しゅうたい)
力がこもった文章が続きます。
徐々にテレビに復帰されていきます。朝の番組とかドラマとか。映画とか。
負けじ魂(だましい)があります。人に恵まれています。
『第2章 病と共に生きるとは 記憶 私の走馬灯(そうまとう)』
生まれてからの思い出の記(き)です。
京都府綾部市がふるさと。
1965年頃(昭和40年頃)のことが書いてあります。
まだ十代です。
1966年(昭和41年)で京都の同志社大学生。18歳です。
当時は学生運動で、大学は全国的に荒れていました。
東京に来てからのことが書いてあります。
有名な人たちのお名前がたくさん出てきます。演劇人の人たちです。塩見三省さんは、まだ二十代です。
1971年(昭和46年)にイギリスロンドンからシベリア鉄道を使って、日本の横浜まで帰国されています。すごいなあ。
途中、原野のなかにあるシベリアの駅で置き去りになりそうになっておられます。
置き去りにされていたら、死んでいたかもしれません。
『第3章 あの人たちを想う いつまでも忘れないということ』
すでに亡くなられている方たちとの思い出話です。そして、いずれは、ご自身もそちらの世界へいくのだという流れのお話です。
岸田今日子:2006年(平成18年)76歳没
文章が固いかなと感じます。リズムにのれない部分がある文章です。
役者さんのためか、セリフが入る文章で、脚本のような雰囲気の部分もあります。
つかこうへい:2010年(平成22年)62歳没
読んでいると、演劇人の人たちは、いい意味で、『演劇バカ』です。熱中しています。
だれのためにやるのか。自分たちのためにやる。表現する。自分たちの主張を表現する。
生涯現役で演技を続ける。
サラリーマンのように、9時から5時まで働く仕事ではない。いいかえれば、人生のすべての時間が役者という仕事の時間でもある。定年退職はない。
1980年代から90年代、2000年を過ぎても、ご本人は、がんがん働いておられます。
脳内出血を起こしたのは、働きすぎたからだろうか。
植木等:2007年(平成19年)80歳没
大杉漣(おおすぎ・れん):塩見三省さんは、大杉さんを大杉さんの本名の『孝』で呼んでおられます。2018年(平成30年)66歳没
『第4章 この人たちと生きる 生きることへの支えとして』
第4章は、存命の方たちとの交流です。
岸部一徳さん:日本橋の三越の前で待ち合わせをされたそうです。
長嶋茂雄さん:リハビリをする病院が同じだったそうです。お言葉が力強い。『シオミさん、どーってことないよ』と言わんばかりのポジティブシンキングだったそうです。(2025年89歳没。この本が出たときはご存命でした)
本全体を読み終えて感じたことです。
ご本人も含めて、まわりにいる方々も、演劇人の人たちは、少年、少女なのです。
十代の意識のまま、舞台や映画やドラマづくりにすべての力を注いでいる人たちです。
ゆえに、実社会での日常生活のにおいがしません。
特殊な世界です。そういう箱の中で人生を送られている。
虚構をつくる世界です。
演技で観ている人たちの心理を操作して感動してもらいます。
人に喜んでもらって収入を得ます。
マヒして動かなくなった左手の上に子役さんの小さな手が重なるシーンを撮影して映画ができあがる。祖父と孫の役柄です。動かない左手が感動を生む素材になります。
萩原健一(はぎわら・けんいち):2019年(平成31年)68歳没
『第5章 夕暮れ時が一番好きだ 気持ちが良いのは少し寂しいくらいの時でもある』
役者の卵が障害者の役を演じるために障害者の動きを病院へ見学に来る。
障害者にとっては、うれしいことではありません。役者であるご本人に怒りが生まれています。
路線バスに乗ることが好き。奥さんと乗る。高い席から景色を見渡すのが好き。
東京ビッグサイトまで、行って帰っての半日バス旅が楽しみ。
元気なころは、海外旅行にも行かれて、バイクにも乗られて、そんな思い出話があります。
東京の街は、1980年代から(昭和55年)ずいぶん変化した。都市化が進んだ。思うに地方都市でもその頃は原野が広がる景色がありました。今はビルばかりです。
ふたつのことを同時にできなくなった。
歩きながら話すことができない。
読んでいると車いすの障害者になられた詩画作家星野富弘さんの本に書いてあったご本人の語りに似ていると感じます。『克服』があります。(星野富弘さんも亡くなりました。2024年(令和6年)78歳没 わたしは、群馬県みどり市にある美術館を見学したことがあります)
『第6章 静寂と修羅(しゅら) 北野武監督 生き残るということ』
映画監督北野武さんに敬意を表されています。尊敬の気持ちがとても強い。
作品『アウトレイジ ビヨンド』等への出演があります。
左半身不随後も映画出演のために目標をつくって努力する姿があります。リハビリです。
原稿を書き終えたらしき日付は、『2021年5月』(令和3年)となっています。
この本をつくるきっかけとなった小説家髙田郁(たかだ・かおる)さんの解説が最後にあります。
ご自身の作品『銀二貫』のテレビドラマ化で、塩見三省さんに出演してもらったそうです。
2014年2月3日、まだ、塩見三省さんがご病気になる前にお母さんといっしょに面談されたそうです。翌月である3月19日に、塩見三省さんは脳出血で倒れられています。
日記を書くことで慰められる。
先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。
ペンを持って日記を書くのです。
学校に行きたくない中学生男子が、日記に救われます。
いい文章です。
『本は寡黙(かもく。言葉数が少ない)で、そして雄弁です。手に取って開かない限り、語りかけてはこない……』
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