インパラの朝 中村安希

熊太郎

2012年(平成24年)7月に読んだ本で、そのときの感想記録です。


インパラの朝 中村安希(なかむら・あき) 集英社


 読みながら思いついたことを記してみます。「インパラ」って、何だろう。牛のような動物ですが、本の趣旨としては地名に近い意味があると解釈します。


 この本は旅行記です。作者が26歳から28歳までの2年間、ユーラシア大陸からアフリカ大陸を女ひとり、バックパッカーとして旅をした記録です。

 書中で地名を見てもどこなのかわからない場所が多い。読み手にとって、場所がわからなければ、どの場所でも同じ場所として文章を読みます。

 著者は、海外留学経験ありで、姉はネパールの寺院で働いている。そうした下地があったからこそできた旅でもあります。


 わたしは、バックパッカーを好みません。20代であれば憧(あこが)れたでしょう。しかし今は、世の中の現実を見てきた50代の人間です。(2012年当時の年齢です)

 作者はこの本の後半202ページで、そのことに気づきます。旅先の国の国民には自由がない、お金もない、そんな貧しい国まで来て、貧しい人々をながめる旅行者たち(バックパッカーたちを含む海外旅行客たち)は、現地の人間にとっては、お金を奪ってもいい人間なのです。


 多くのひとり旅の本では、旅の動機が冒頭で語られません。語られずに最後まで終わってしまいます。この本でも最初に紹介はありません。


 テーマが登場するのは、かなり後ろの部分です。

 作者のテーマは「貧富の差を目の当たりにすること(まのあたり)」そして、人間にとって一番大事なことは「自由」であることです。

 「自由」とは、移動の自由です。旅であり、住む場所の選択でもあります。

 加えて、日本の国際貢献活動に関する批判があります。

 予算の消化、派遣数の確保、宣伝のために、現地の人たちが望まない援助を無理やり押し付けている。

 これに対する作者の怒りは正当であり、正義があります。何ができるのか、真実をつきとめたいという若さがみなぎっています。


 「援助」は現地住民の平衡感覚を狂わせる。

 学校が建っても裕福なこどもしか通えない。ねたみ、そねみ、嫉妬(しっと)、対立が始まり、やがて「援助」が原因で地域内紛争が始まる。

 日本人の性質に対する外国人の評価は低い。日本人が世界の人たちに尊敬されたのは、わたしたちの祖父母の世代以上、ご先祖様たちなのです。


 作者は、日本に自分の居場所がなかったから海外へ出た。

 作者が知ったのは、世界の国々に住む人たちは、お互いを知ろうとせず、マスメディア等でつくられたイメージで相手を判断する。

 おおいなる勘違いで世界が成り立っている。

 旅行を離れて作者の個性を読む本でもあります。

 女の意地はすさまじい。激しい言動や殴り合い。女性とは思えない。それとも女性とはそういう生き物であるのか。その記述から続く226ページ付近の記述はすばらしい。その部分は不思議なしあわせ空間です。この本を読んで、ここまで読み続けてよかったと思わせてくれます。「不安」が「安心」に変わります。


 気に入った言葉は、イスラム教徒が言った「インシャーラ(神が決断をくだされるだろう)」

 そして人々は「時」を待つ。時間はかかっても最後に目的は達成される。


 こどもたちがたくさん登場する旅行記です。とある国のこどもたちは笑わない。でもほほえむ。自制心が強い。こどもが多いから貧困なのか、貧困だからこどもが多いのか。


 アフリカ人が「米(こめ)」を栽培して食べることをこの歳になって初めて知りました。


 この本を読んで決めたことがあります。稼ぐためにマシーンのように働くサラリーマンライフが終ったら、人間性を回復する生活に転換します。