ブタがいた教室 邦画 2008年
ブタがいた教室 邦画 2008年(平成20年) 1時間49分 DVD 複数回観ました。そのときの感想記録です。
監督:前田哲(まえだ・てつ)
出演者:
妻夫木聡、田畑智子、大杉連、原田美枝子、たくさんの子役さんたち(小学生)
(以下は、2009年(平成21年)5月に観たときの感想記録です)
実話の映画化です。原作本は「豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日」ミネルバ書房です。2003年(平成15年)6月に発行されています。
「食堂かたつむり」小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に捌(さば)いて食べます。
映画「ブタがいた教室」では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。
家庭に家畜がいることが少なくなりました。わたしが7歳のとき、農家である父方祖父母の家で暮らしていて、そこでは、農耕用の牛を飼っていました。
小学1年生だったわたしは、牛の出産を見たことがあります。
近所では、豚も飼っていましたし、鶏も飼っていました。
牛は農耕用の労働力でしたが、豚と鶏(にわとり)は食用と卵でした。豚や鶏を食べることは当たり前のことでした。
Pちゃんを食べるか食べないかで激論する小学生たちは、昔の父親とわたしの関係と同じです。
わたしは小学校6年生の頃、おとなになったら動物園で働くことが夢でした。
わたしは家で、たくさんの動物たちを飼っていました。そして、そのなかのいくつかを父親に食べられてしまいました。(今思えば、そのころからわたしは父がキライでした)
犠牲になったのは、アヒル、鳩、亀でした。犬は感づいたのか逃げました。
戦中戦後の食糧難を乗り越えてきたわたしの親世代は、食べ物に対してシビア(厳しい。容赦(ようしゃ)ない)でした。そういう時代が日本の過去にありました。母親も飼育している動物を食べることについては、父親と同様な言動でした。食べるために飼うのです。動物好きだったこどもの頃のわたしにとって両親は敵のような存在でした。
食用の豚を食べるか食べないかで議論する今は、平和な時代に感じます。
先日読んだ、「ちょいな人々」荻原浩著に、「犬猫語完全翻訳機」という短編があります。
読んだときは、内容の質が低いと感じたのですが、このDVDを見ながら、「犬猫語完全翻訳機」は、真実を語っていると高く評価しなおしたのでした。
ペットとして飼育されている動物は、人間が思うほど、人間に感謝はしていないのです。
こちらの映画では、こどもたちは、迫真の演技です。
本当にブタのPちゃんを育てたこどもたちではないだろうかという錯覚に陥ったとしても、過言ではありません。
(以下は、2013年(平成25年)に映画を観たときの感想記録です)
ブタがいた教室 DVD
名作映画です。こどもさんにもおとなにもお勧めします。
6年2組の児童たち26人が子ブタにPちゃんと名付けて卒業までの1年間、飼育するのです。
当初の目的は食べるためです。でも、育てるうちに情(じょう)が移って食べることができなくなり、大論争になるのです。
6年2組のこどもたちです。わたしも小学生6年生当時は6年2組でした。
映画では、学校のそばを新幹線が走っています。わたしの体験ですが、転校が多かった体験から、別の小学校でしたが、そばを新幹線が走っている同じような風景の小学校へ通っていたことがあります。
なつかしい。教室の様子、班をつくって給食を食べるようす。ただただ、なつかしい。そういう時代が自分にもあった。
子ブタのPちゃんは、ひとりひとりのこどものさびしい気持ちを埋める存在になっていきます。
おとなである自分から見たこどもたちの言動は、「うらやましい」というものです。
こどもたちは、自分の気持ちを素直に口に出します。
機関銃のように並べ立てることもあれば、口ごもってたどたどしいときもあります。
そこには、言いたいことが言える、「言論の自由」があります。
おとなになると、言いたいことが言えなくなります。
親族間でも職場でも自分が心の中で思っている本心はなかなか言えません。
子役のみなさんは熱演です。
とても演技による劇とは思えません。
この映画に出たということは、各人の「誇り(ほこり)」です。
宮本常一さん(みやもと・つねいち。民俗学者)という学者さんが書いた本を思い出しました。『忘れられた日本人 宮本常一 岩波文庫』です。
昔の日本人を研究された方でした。
昔の日本人は長い時間をかけて話し合った。ひとつの結論を出すまでに数日かかるのです。西欧風の「多数決」ではありません。
長い時間をかけて何日も話し合い、「全員一致」しないと物事を始めたり変えたりしないのです。この映画でも何度もブタのPちゃんを食べるか食べないかで激しく意見が対立します。
今の日本ではもう、「全員一致」まで時間をかけていく日本人の良さは失われました。
自分たちとあいつらに分かれて、数が多いほうのグループで物事を決めていくのです。数で負けたほうのグループの意見や願いは切り捨てられるのです。
(以下は、2014年(平成26年)に観たときの感想記録です)
ブタがいた教室 DVD
昭和時代の小学校風景です。いつの間にか、平成も26年となりました。平成ひとけた代がまだ、こないだのことのようです。
女の子の表情がクローズアップされて印象に残ります。
ひたすらブタがかわいそうと涙ぐんでいます。太った男の子の顔も同様です。小さい子、大きい子、やせた子、ふとった子、バラエティに富んでいます。そこが楽しい。
子ブタのPちゃんは可愛い。人間も動物も小さいときは可愛い。
ある日突然、子ブタが小学校の廊下を歩いてきた。子ブタがどこからきたのかはわかりません。その点で、この物語はファンタジーです。
子ブタをペットとして飼育した期間はそれほど長くありません。喜びも悲しみもいっときのことです。ひとつの事象について、複数の人間が関わることになると、対立する考え方が発生します。
そして対立の根が深いと大騒ぎに発展します。対立はピークを迎え、やがて収束します。過ぎてしまって長い歳月が経過したとき、あれは、何だったのだろうかと忘却の彼方(かなた)の出来事になります。そうやって、時間(歴史)は流れていきます。
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