壬生義士伝(みぶぎしでん)邦画 2003年

熊太郎

壬生義士伝(みぶぎしでん)邦画 2003年(平成15年)2時間17分 DVDの映画鑑賞をからめながらのいろいろ話です。


監督:滝田洋二郎

俳優:

吉村貫一郎:中井貴一

斎藤一:佐藤浩市

しづ:夏川結衣

ぬい:中谷美紀

大野次郎右衛門:三宅裕司

近藤勇:塩見三省(しおみ・さんせい)

土方歳三:野村祐人(のむら・ゆうじん)

沖田総司:堺雅人

大久保利通:津田寛治

大野千秋:村田雄浩(むらた・たけひろ)

徳川慶喜:伊藤英明


(以下は、2009年(平成21年)7月のときの映画鑑賞記録です)

 こちらの作品は、テレビでちらりちらりと見たことがありますが、詳しくは知りません。まず、1回観て、次の日にもう1回観てみました。


 映画は、3回見ると、中身が把握できます。わたしには、本読みにしても、資料の理解にしても一度でわかるような能力はありません。繰り返しながら少しずつ味わいたい。


 壬生寺(みぶでら)という新撰組が拠点としていたお寺さんが京都にあります。

 NHK大河ドラマでブームになったときに壬生寺へ行ったことがあります。(2004年三谷幸喜(みたに・こうき)作品です)


 こちらの映画では新撰組の吉村寛一郎が主役です。岩手県出身でめっぽう剣が強い。されど、生活に困っている故郷の妻子に仕送りをしています。


 「義をとおす」という意味がわかりません。うちの家族の一人が、「忠誠を尽くす」と解釈しましたが、だれに? という疑問は消えません。


 純粋であるがゆえに、短命とならざるを得ない。

 悲劇です。わたしはこの映画は主人公が、とんがり帽子をかぶった官軍の兵士たちに鉄砲でメチャクチャに撃たれたシーンで終わりだと思っていました。

 今回、その後の長いシーンがあることを知りました。ただ、主人公がぼそぼそと話すので、耳が少し遠くなってきたわたしには、言葉が聞き取れません。(その後、日本語字幕を出すことができることに気づきました)


 2回目の鑑賞では、冒頭のシーンに吉村寛一郎の娘さんが何度も写っていることがわかりました。しみじみとする演出です。


 侍でありながら、妻子が食べていくだけの給料がもらえないということが不思議でした。

 出稼ぎをするがごとく、寛一郎は新撰組に入隊します。

 侍に限らず、東北地方の出稼ぎ慣例は、昭和の時代まで続いたのでしょう。わたしがこどもの頃は、出稼ぎの話をよく聞きました。


 選挙についても考えました。もし、選挙制度がなければ、対立する集団同士は武力行使をすることになります。

 亡くなった寛一郎はゴースト(幽霊)になってこの世に残り、家族を見守るのでしょう。

 この映画は、「おとうさん」のあり方の表現でもあります。

 妻と息子と娘を養っていくために人を殺してでも収入を得る。彼にとって「義をとおす」ということは、父親(所帯主)として家族を養っていくというもので、妻子への感謝です。

 寛一郎の娘夫婦は満州へ渡っていくわけですが、わたしは原作者の浅田次郎著「蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)」を読んだことがあり、壬生義士伝から中国を舞台とした作品へと製作が移っていったのではないかと推察し、胸がわくわくしました。


(以下は、2010年(平成22年)9月18日の記述です)

 秋に東北旅行を計画しています。目的は「岩手山」を見ることです。この映画に短時間ですが、岩手山が雪をかぶった映像が出ます。

 昨年11月下旬に青森県を訪れました。わたしは、この映画に登場する山を「岩木山」だと思っていました。行ってみたら違う山でした。

 それから、南部藩というのがよくわからなくて、東北なのにどうして「南部」なのだろうかと今でも疑問に思っています。「北部藩」ならしっくりくるのです。青森と岩手の違いもよくわかりません。(その後、地域を支配している人のお名前が南部さんだったということを知りました)

 東海地方以西で暮らす人間にとって、東北は遠い場所です。岩手県の県庁所在地をすらりと言える人は少ないでしょう。

 岩手県と宮城県の県境もよくわかりません。奥入瀬渓流は、岩手県にあると思っていました。青森県でした。


 こちらの映画は、何度見てもいい映画です。見終えたあともところどころの場面を幾度か見返しました。

 吉村寛一郎が主役であるけれど、実は、彼の周囲にいる人たちの生き方が主題であることに気づきました。川の流れのようにおおぜいの人たちの人生が流れていきます。

 一人の人間(英雄である吉村氏)の影響力は強い。郷土愛の強さにも胸を打たれます。


 「おもさでながんす」という方言は、どう発音しているのか、どういう意味なのかはわかりません。「ありがとうございます」のようでもあるし、「申し訳ない」ともとれます。どういう場面でも使える言葉だと受け取りました。意味も発音もあいまいな面があります。おもさで(なんとかで)がんす、とも聞こえます。それから「死んではいけない」という発言が各所であります。好感をもちました。  



(以下は、2008年(平成20年)7月のときの記録です)

京都 壬生寺(みぶでら)

 NHK大河ドラマ「新選組」ゆかりの地を訪ねました。

 八木邸。近藤勇、土方歳三以下の宿泊地では、親切丁寧な説明があり楽しみました。

 ただこの日は暑くて芹沢鴨(せりざわ・かも)が土方歳三や沖田総司に暗殺された部屋では、同行した家内は「暑い」を連発し、さらに息子の「足臭い」が続き興(きょう。おもむき)をそがれました。

 このあと二条城まで必死で歩いたのですが、入門制限時刻午後4時に5分、間に合わず見ることができませんでした。残念。途中アーケード街を歩き、昭和47年頃の景色を見た思いで、京都は歴史の流れが動いていないと感じたのでした。

 写真は八木邸の南隣にある壬生寺(みぶでら)です。小さな池では亀さんたちがいっぱい寄ってきました。


(以下は、2009年(平成21年)11月のときの記録です)

京都 西本願寺

 京都御所を出たあと、光源氏のモデルになった人が住んでいたという渉成園(しょうせいえん)を訪ねたのですが、閉館時刻を過ぎており、あきらめて、そのときのためにと考えていた西本願寺まで、てくてくと歩きました。

 このとき読んでいた本「美しき日本の面影(おもかげ)」さだまさし著に、作者が中学校の修学旅行で泊まった旅館が西本願寺の前にあったと記されており、歩きながら付近を見ましたが、それらしき旅館は見当たりませんでした。

 前回西本願寺に来た時は雨天でした。参拝者の多くは、縁側部分に腰掛けて、ぼんやりと雨空を見上げていました。わたしもそこに腰掛けて、現在・過去・未来に思いをはせました。他のひとたちも同様だったのでしょう。

 前回訪問したときは工事中でしたが、今回は工事が終了していました。閉館時刻間近で人影は少ない。建築物は巨大で美しい。室内にも入りましたが、なにかしらおそれおおくて写真は撮りませんでした。

 この縁側に座って、昔この地で新撰組が大砲を撃つ練習をして、都(みやこ)の人たちがびっくりしたことがあったのだなあと遠い過去をふりかえったのでした。