キッドナップ・ツアー 角田光代
キッドナップ・ツアー 角田光代 新潮文庫 1998年(平成10年)発行
キッドナップ=誘拐。家に寄り付かない父親が娘を誘拐する設定の物語となっています。
冒頭、小学生5年生女子ハルの言葉がおじさんくさいのですが、文章からは片親のこどものさみしさがただよってきます。父親はなぜ実の娘を誘拐したのだろうか。そのことについては最後まで語られません。
ふたりは、父と娘の関係ではなくて、恋人同士のようです。誘拐の目的は不明という秘密をかかえながら「思い出」とか「親族関係」をかかえながら物語は進行していきます。
108ページの父親の言葉には同感です。
近頃の若い者は、自分の世話はいつでもどこでもだれかがしてくれると勘違いしている。
私はそこに「ただで」という単語を付け加えたい。勉強さえしていれば、ちやほや至れり尽くせりなど他人はしてくれないのです。
(まだ現役で働いていたころの私は)これを「長男さん、長女さん」現象と呼んでいました。この部分は、194ページの父親の言葉につながっていきます。
中盤にある父親の行動は模範だと思います。
親はこどもに親のかっこ悪い姿を見せたほうが子の教育になります。
人間は「ひとり」だということを確認させてくれる作品です。
175ページ、こどもが、母親とかきょだいを選ぶことができたとして、どうやって選ぶのだろう。
186ページ、終わりが近い。どうやってオチをつけるのだろう。
キッドナップ・ツアー(再読 2012年(平成24年)9月) 角田光代 新潮文庫
実の父親と娘なのに、「出会い」と「別れ」があります。
夫婦仲がうまくいかなくて別居状態の父親が 路上で小学校5年生の娘ハルに声をかけ、自分が借用中の車に実の娘を乗せてユウカイするところからお話は始まります。
父親に女の影はありません。父親は、ただひたすら貧困です。
本当の誘拐ではないので事件性はありません。
父親と母親の生き方が違う。おそらく父親は北海道か青森あたりの雪深い寒村で生まれ育った。
親族間にいつもトラブルをかかえて育った。
対して母親は仲良しの親族がいる。明るい。
そんなふたりの間に生まれたハルが小学生の透明な視線で父親を観察していきます。
この本は、児童文学に位置づけられているので、小学生高学年女子向けの本となっていますが、ハルの心の 機微(きび、こまかな心の動き)をとらえることができる女子は才能ある人物です。将来の作家候補です。
読んでいてしんみりします。夏休みの初日にユウカイされて、その後数日間を父親と娘のふたりは放浪します。
山の上の宿坊(お寺)に泊まったり、海辺の安宿で過ごしたりします。
移動の足は、車だったり、電車だったり、 徒歩です。
お金がないので野宿もします。はじめは父親を嫌っていたハルは、最後には父親と別れがたくなります。今度は娘である自分が父親をユウカイしようと考えます。
父親は自分が親であることの窮屈さに悩んでいます。
父親はこうあらねばならない。だけど、そうはできない。
父親は2度ほどハルに熱弁をふるいます。
「(こうなったことを)人のせいにするな(つまり父親である 自分のせいにするな)」、いつだって責任は自分自身(ハル)にあると説くのです。
ハルはこれまで孤独でした。
父親とも母親ともつながっていないと感じていました。
今回のユウカイの件で、ハルは父親とつながることができました。
作者の体験なのか。作者はハルになって、自分の気持ちをつづり続けます。
読んでいて、気持ちが落ちつきました。
(2016年(平成28年)にNHKでテレビドラマ化されています。父親は、妻夫木聡さんでした)
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